四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

鉢形城 ①(埼玉県寄居町)

2018年05月27日 | 日本100名城
■ 国指定史跡 鉢形城跡



国指定史跡にして日本100名城のひとつである鉢形城は、その城域が広く曲輪を一通り見て歩くだけでも相当の時間を要し
ます。そんなことから、各曲輪を細かく見て歩くことはほとんどありませんでした。
今回は、特定の場所について少し詳しく見て歩いてみました。その対象としたのは『伝御殿曲輪』跡です。
伝御殿曲輪は、道路で分断された本曲輪の西側部分で、道路東側部分は「伝御殿下曲輪」となっており、現在はシルバー人材
センターとなっていることから城跡探訪として歩くことはありません。
本曲輪は、北条氏邦が入城する前、つまり、長尾景春、或いはその後の上杉顕定のころの曲輪とされています(入城後の氏邦
が手を加えて改修しているかもしれませんが)
伝御殿曲輪は4区画になっており、南から北に向かって順次傾斜しています。梅沢太久夫氏(元埼玉県立歴史資料館長)は同
氏の著書【埼玉の城127城の歴史と縄張】で、これを1区・2区・3区・4区と仮称していますので、この仮称を使わせて
いただきます。




鉢形城歴史館構内に設置の「鉢形城跡曲輪配置図」の一部を抜粋、当該部分に加筆してみました




『伝御殿曲輪』跡 北側から撮影しましたが全体を入れるのは無理でした




『伝御殿曲輪』跡 南端部




伝御殿曲輪1区の南側の土塁上から  西南隅の一番高い部分は櫓台跡 高さは4mほど  
手前の窪地が井戸跡と考えられています




井戸跡と考えられる窪地は径5m程の円形




土塁上から見てみました




下から見るとこんな感じです  右側の高い所が櫓台跡




1区から2区を見ています  1区と2区の段差がよくわかります




写真中央部が低地になっていますが池跡ではと考えられる場所です




丁度、田山花袋碑の裏側に当ります




2区の西半分程が低地になっています  段差の向こうが1区




東方から見ています




伝御殿曲輪で一番広い3区です  石積が帯状に延びて繋がっています
この遺構は最近、浅野晴樹氏(埼玉県立嵐山史跡の博物館学芸員)が気付いた遺構で、同氏はここに園地空間が築かれていた
可能性が高いと指摘しています。
実はこの話については本年2月に開催された同氏の講座「中世遺蹟を地名からみる」でもお話しされていました。また3月に
開催された講演会「謎解き鉢形城」において、梅沢太久夫氏が浅野晴樹氏のこの発見についても話されていますし、著書【埼
玉の城127城の歴史と縄張】にも紹介されています。
そんなことからこれらを含めて伝御殿曲輪を見て歩きたいと考えた次第です。




同じく石積の一部です




同上




鉢形城本丸址標柱の背後から帯状の石積を見ています  切り株に沿って見えるのが帯状の石積




伝御殿曲輪跡は何度か歩いていますが、ただ歩いたというだけで石積にも1区の井戸跡と思われる窪地 2区の池跡ではと考
えられるという低地を気に留めるということはありませんでした。いや気付いてさえもいなかったかもしれません。




3区北端から南方の2区・1区方向を見ています




土塁の上から荒川と玉淀河原を望みます  玉淀河原では「寄居北條まつり」の設営が始まっていました
※寄居北條まつりは、この散策日から5日後の13日(日)に行われました




桝形小口を挟んで北側にある4区




桝形小口




桝形小口脇の切岸  

この記事を書くために3月以降3度伝御殿曲輪跡を訪ねました。しかし、時間帯が遅く写真がよく撮れなかったり、肝心の箇
所を撮ってなかったとかで3度目にしてどうにか使える写真を撮れましたので・・・

散策日:平成30年(2018)5月8日(火)

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