備中松山城は、秋庭重信」が延応2年(1210)に築いたのが最初とされる。城のある臥牛山は中国山地と瀬戸内とを結ぶ交通の要衛を見下ろす位置にあり、
毛利家などの城塞として機能していた。江戸時代になり、小堀正次・政一(遠州)親子の修築を経て、天和年間(1681~84)、水谷勝宗の大改修で
近世三大山城とされる最終的な城の形となった。城の縄張りは4つの峰にまたがり、天守は標高430mの小松山の本丸に建つ。二重二階の天守は現存する
天守の中で最小であるが、日本一高いところに建っている。平成9年、本丸の南御門をはじめ、平櫓・土塀などが再建された。
(「日本100名城公式ガイドブック」より引用)
「日本100名城」(財団法人日本城郭協会選定)全部を制覇するのはとてもできる相談ではありません。せめて「現存天守12城」だけでも攻城できたらと思うように
なり、ぼっちらぼっちらと城めぐりを始めた次第です。 それには問題がありました。上記説明文にもあるように「備中松山城」は、地理的問題もさることながら、
現存天守の中では一番高いところに建つ山城です。途中までは車で行けるものの、その先は約20分山道を歩いて登らなければなりません。今の私にそれだけの体力の
自信はありません。しかし、ひとつでも攻城を放棄すれば12城制覇は成りません。諦めるか挑戦するか迷った末に、ひとが20分のところを例え1時間かかろうと
2時間かかろうと休み休みでも攻城しようと決めたわけです。そのために伸縮式の杖と携帯用酸素ボンベを用意して行きました(杖は現場に置いてありましたが)
攻城予定の前日の夕刻、備中松山城のある高梁市に入り、市内のホテルに1泊しました
予約してあった乗合タクシーの出発時刻までには間がありましたので、駅前を散歩(3歩)
数日後に控えた「備中たかはし松山踊り」の準備が進んでいました
駅前通りの左右の歩道にはこんなタイルが
備中高梁駅前から乗った乗合タクシーで「ふいご峠(8合目)」まだ上がってきました
ここから先は徒歩です。遊歩道を行く、林道(?)を行くか。途中で合流のようですが、舗装された林道を
写真で見るとそれほどでもないようですが、実際に歩くとかなりきついです
乗合タクシーに同乗してきた京都から来たという親子連れの姿がもう見えません
石段もかなりきつい
石垣群が目の前に。こういうのを見ると疲れも飛ぶ・・・そう思うだけでやっぱりきつい
大手門跡付近の石垣
三の平櫓東土塀(国指定重要文化財)
黒門跡
天守が見えました。やっと着きました
二の丸跡から見た(左から) 「六の平櫓」・「五の平櫓」・「天守」
* 天守以外は平成9年に復元
五の平櫓から天守方向に
二重櫓(国指定重要文化財)
左から 六の平櫓・南御門・五の平櫓・天守
入城券を購入して、いざ本丸・天守へ
備中松山城天守(国指定重要文化財)
左から 五の平櫓・本丸南御門・六の平櫓 と 本丸
接続(つなぎ)廊下
「この天守は二重二階であり、ここは一階ではなく、八の櫓と天守をつなぐ廊下である」とあります
天守内部の一部
階段
踊り場を付けた曲がった階段、幅も狭く勾配が急であり、敵がすぐに上がれないように工夫されている
天守から見た「二重櫓」
二の丸跡から見下ろした城下
備中松山城がいかに高いところにあるか実感できます
完璧とはいかないものの備中松山城の攻城を終え下山。再び、ふいご峠から予約しておいた乗合タクシーで備中高梁駅まで戻り目的達成
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攻城日:2013年(平成25年)8月7日(水)