四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

脇屋氏館(群馬県太田市)

2018年11月27日 | 100名城以外の城館跡


城 名:脇屋氏館(わきやしやかた)
別 名:ー
形 態:居館
時 期:鎌倉時代末期
築城主:脇屋義助
城 主:脇屋氏
遺 構:ー
指 定:ー
現 状:農地・住宅地
所在地:群馬県太田市脇屋町(旧太田市)

脇屋義助は、新田義貞の弟で、上野国新田郡で生まれ、長じてからは現・太田市の脇屋の地を領したことから、脇屋二郎と称
した。兄・義貞に従い鎌倉幕府の倒幕に寄与するとともに、兄の死後は南朝軍の大将の一人として北陸・四国を転戦した。 興
国元年(1340)、赴任先の伊予府中城(今治市)で病死した。




脇屋館跡は脇屋義助の館といわれ、昭和23年(1948)に開墾のため削平されるまでは、方形に囲まれた堀・土塁が残って
いたと言います。現在は、畑の中に昭和13年地元建立の石碑が建っているのみであるとの情報。碑の建つ場所は、脇屋義助の
菩提寺であった正法寺に設置されている文化財の説明板の中に、「南東1kmにある脇屋館跡・・」との記述に手がかりに探す
も中々見つからず、途中2度も道順を教えていただき、どうにか辿り着きました。
てっきり畑の中にポツンと建っているのかと想像していましたが、すっかり住宅地に打って変わっており、石碑の土台の2辺は
住宅に囲まれてしまっていました。写真には写っていませんが、道路反対側も住宅街になっているうえに道幅を狭く車を止める
場所に苦労しました。これでは来る方向によっては素通りしてしまいそうです。
石碑には、「脇屋義助公居館跡」と刻まれています。何の障害物もなければ、石碑を真ん中に据えた写真の1枚も撮って載せた
いところですが、何せ住宅の前です。住宅が入ってしまう範囲をギリギリまでにして撮ったのがこの2枚の写真です
遺構もない館跡の石碑をそこまで苦労してと言われるかもしれませんが、今回も「たかが標柱(石碑) されど標柱(石碑)」
なのです。
他の方たちもこの石碑を見つけるにはだいぶ苦労しているようです。




脇屋山正法寺の仁王門(山門)




参道入り口に建っている指定文化財名を刻んだ石標




「太田市指定重要文化財 正法寺仁王門並びに仁王尊」説明板
※「群馬県指定重要文化財 正法寺聖観音像」の説明板もありましたが省略します





仁王門(山門)




仁王尊(阿形)




仁王尊(吽形)




仁王門に架かる山号「脇屋山」の扁額




大鰐口




本堂(観音堂)  旧本堂は江戸時代に火災で焼失し、現在は観音堂を本堂にしているそうです。




「観音堂」扁額




本堂(観音堂)




「脇屋義助公」石碑  脇屋に分家してから資するまでの履歴が刻まれています




脇屋義助公像(石像)




脇屋義助公遺髪塚




「脇屋義助公」石碑  遺髪塚に関して刻まれています




遺髪塚




観音免遺跡から出土の層塔

これらのほかにも見落とししたところが何か所もありましたが・・・

散策日:平成30年(2018)9月23日(日)・10月6日(土)

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