四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

山田氏屋敷跡(埼玉県東秩父村)

2015年05月02日 | 100名城以外の城館跡


山田氏屋敷跡(別名:山田館跡)  埼玉県東秩父村安戸

ここに言う山田氏とは(武蔵)松山城主上田氏の家老で支城の腰越城主であった山田伊賀守直定一族を指します。
この山田氏の屋敷跡が東秩父村の安戸地内にあるということで訪ねてみました。
場所的には腰越城と安戸城のほぼ中間点に位置しています。屋敷跡言っても遺構はありませんので興味ない人にはただの畑にすぎませんし、
興味ある人が見てもやはりただの畑ですから。 松山城跡・腰越城跡・小倉城跡・青山城跡・安戸城跡など上田氏に関係する城跡を訪ねたからには
山田氏の屋敷跡を訪ねないわけにはいかないと今年2月に安戸城跡を攻城した際に屋敷跡を探したものの分からずじまいで撤退。
更に、4日前に再挑戦しここあたりではないかと思しき所を1時間ほどほっつき歩き、
途中で地元の方3名に山田氏屋敷のことを説明し場所を聞くもいずれの方も分らないとのお答え。
先にも書いたよう遺構があるわけでもないし、史跡指定等にもなっておりませんので無理もない話です。
まあ、十分な下調べもせずに行けばどうにかなるだろうといつものように甘い考えで行った自身が悪いだけのことです。
そして本日、3度目の正直になるか、2度あることは3度あるかになってしまうか分りませんでしたが、今度はそれなりの下調べをして出かけた次第です。




はっきりした遺構や標識等があるわけでもないので場所の特定ができずに2度も失敗した自身
のような方がでないように場所の説明からしておきます。まずは東秩父郵便局を目指します。
余談ですが「大河原」姓はここ大河原郷が発祥の地です。この話は機会があったら別の記事にします。




小川町方向から進行し東秩父村に入りますとすぐ「東秩父村安戸宿→」の標識がありますので、矢印方向に右折し橋を渡リます。




少し進むとカーブになっていますのでそのまま道なりに




間もなく左手に東秩父郵便局が見えます。郵便局の10m程先を右折・・・矢印のところ




右手に大きな屋敷の家(右のブロック塀の家)がありますがその裏手が屋敷跡のようです。
この大きな屋敷は山田氏の重臣であった平野氏の末裔のお宅ですが敢えて写真は載せません。




屋敷跡といわれている場所です。写真ではよくわかりませんが現在4段の畑(空地)になっています。




ちょっと角度を変えて




一番上段から集落を見てみました。安戸城がよく見えます。左手には腰越城が見えるはずです。




平場の南東隅に立てられている「山田正一位稲荷大明神跡」の木製の標柱 先祖代々受け継いでいるそうです。




上の写真場所から平野氏宅の屋敷内に移されている「山田正一位稲荷大明神」 それで上の写真は「跡」なのです。




山田氏五輪塔群 (村指定文化財)

3度目の正直でどうにか「山田氏屋敷跡」とされるところに辿り着きました。前2回ともこのすぐそばもほっつき歩いたのに辿り着け
なかったのが悔やまれます。この場所が絶対とは言い切れないかもしれませんし、地形も屋敷があったころとは変わっていることは
承知するところです。でも、ここに(この辺りに)山田氏の屋敷があったということを確認できただけで十分なのです。
実は、屋敷跡地と五輪塔群のある墓所は分ったのですが、「山田正一位稲荷大明神跡」の場所がいまいち分らず迷惑とは承知しつつ
平野氏宅にお伺いに行きました。それに対してご主人は嫌な顔ひとつせずに、屋敷内に移した「山田正一位稲荷大明神」と、
「山田正一位稲荷大明神跡」を案内してくれました。それどころか「山田正一位稲荷大明神跡」では標柱が曲がっていてはとわざわざ
真っすぐに直してくれ、更に風で飛んできたであろうそばにあった古傘まで片づけていただきました。本当にありがとうございました。

散策日:2015年(平成27年)5月2日(土)           

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