四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

後閑城跡(群馬県安中市)

2010年02月07日 | 100名城以外の城館跡


 本日の城攻めは、群馬県安中市にある『後閑城跡』にしました。幹線道路を走っている限りは残雪はなかったのですが、城跡に近づき幹線道路から
逸れた途端、日陰は白くなっています。更に、城址公園入口の看板を見つけて入っていくと、そこは細い坂道でやはり残雪が。どうにか東駐車場まで
辿り着いたが帰りが心配でした(何せ車が車だけに)。結果論ですが、もうひとつのなら西駐車場ならその心配はなかったのでしょうが、
先に見つけた入口だったもので・・・前置きはこの辺にして本題に入りましょう。






まずは駐車場に設置された「後閑城址案内図」を見て、地形を頭に入れたつもりで、「城址公園東入口」から登城開始。
早速、雪道である。が、丸太で整備された登山道であったから助かった。




階段状の坂道を上り詰めると、「二の丸」方向と「東郭群」方向との二手に分かれるので、右方向の東郭群を目指す。
「東郭群」です。複数の郭が段々畑のように連なっています。ここから次に「北郭」へと進んでみました。




下から見た「北郭」




郭です。ここには東屋「時雨亭」が建っています。これを設けたというのも、城址公園として整備したことからの一環でしょう。




北郭下から「本丸」を見た状況です。本丸への坂道は綺麗に整備された石段になっていますが、往時は全然違っていた筈です。まあ、公園ですから。




本丸北側下にある「北第一堀切」です。ここがこの後閑城跡の最大の見所であると評する方もおるようです。




本丸虎口ですが、冠木門がいいですね。この程度の質素なものがいいですよ。
あるところの冠木門は、鉄板とコンクリートで出来た大きなものでしたが、これには興ざめしてしまいましたので。






本丸跡の状況です。郭内には沢山の庚申塔があり「百庚申」の説明板がありました




ここにも東屋があり、その名は「花雲亭」。また、城跡の立体模型がありましたが、踏み台がなかったため、上から撮れず残念でした。




本丸から見た「西第一郭」、「西第二郭」、そして「西第三郭」ですが、ここに限らず全体的によく整備されていて遺構の状態がよく分かります。
「西第三郭」は駐車場になっており、雪隠も設けられております。冒頭にも書いたように、この駐車場に止めればよかったと・・・




「西第一郭」




「西第三郭」(西駐車場)から見た本丸です。




「南郭」です。ここにも東屋が立っておりその名は「夏月亭」




二の丸辺りにある「物見櫓」ですが、この場所に櫓跡を確認したことから復元したようです。




中に入り階段を上がって上に行くと、こんなものがありました。
私には何というものか分かりませんが、敵の来襲の際は、これを敲いて味方に知らせたのでしょう。




二の丸の状況です。




二の丸について書かれた説明板ですが、これを読むとよく分かりますね。




二の丸にある東屋。名前は、写真から分かると思いますので。


以上、また必要のない写真説明をしてしまいましたが、何度も書くようですがよく整備されている城跡です。
歴史については、いつものよう素人なので書けません。城主は、後閑氏でしたが、ここもやはり小田原・北條氏直の臣下にあったようです。

この「後閑城址公園」は、安中市指定史跡となっています。

実はこの城攻めの途中、本丸跡で「後閑城址」の標柱の脇に立ち、記念写真をとセルフタイマーにして三脚にデジカメをセットしたのはいいのですが、
風が・・・・バターン。見事にデジカメが壊れてしまいました。ここで泣いて帰るわけにも行かず、予備のデジカメで城攻めを続行。
帰宅後、このことを話したら、「こんな風の日に三脚を立てたら当たり前だろう」。ごもっとも。(なお、この記事の大部分は、2月8日に追記しました)

攻城日:2010年(平成22年)2月7日(日)            

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