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群馬県藤岡市にある『平井城跡』を訪ねてきました。城跡と言っても、住宅や畑になってしまい遺構はほとんど残っておらず、主郭跡を復元整備し、
「関東管領平井城址公園」となっています。道路沿いに「関東管領平井城」と染め抜かれた幟旗が何本も立った土塁があるのですぐに分かります。
この土塁は、復元(模擬)したものですが、写真で見たより実際には小さなものでした。
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土塁の上から見たもの
ここには写っていませんが、左手に駐車場がありトイレも設けられています。
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「土塁跡」、「堀跡」と刻まれた石標が建っていますが、肝心の土塁や堀跡は何処にという感じでした。
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更に右手は墓所であり、墓所の周りには関東管領山内上杉家や平井城に関する碑や案内板が幾つも建てられています。その中から数点を写真にしてみました。
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復元(模擬)された「橋と堀」
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これまた復元(模擬)された「竪堀
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この平井城は、鮎川の絶壁の上に建てられたということで、確かに裏手は写真のように絶壁です。
平井城は、先にも書いたよう関東管領山内上杉代々の居城でしたが、ここもやはり小田原北條氏との間で争いがありました。
正直、確かに城があったところかも知れませんが、遺構もほとんどなく、非難を覚悟で偏屈爺的に言えば「城跡ごっこ」としか見えない城址公園であったと
いう感は拭えません。しかし、ここは、群馬県指定史跡となっており、歴史的には重要な城跡です。この前に攻城してきた「後閑城跡」は市指定史跡ですが、
ちょっと逆なんじゃないと言いたくなるような・・・決して、身分の高い方の居城だったからということではなく、あくまでも歴史的、学術的観点からということでしょうか?
攻城日:2010年(平成22年)2月7日(日)