四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

黄色い鳥居のある『小被神社』(埼玉県寄居町)

2020年11月29日 | 神社仏閣
◇延喜式内社◇


社 号:小被神社(おぶすま じんじゃ)
別 称:ー
御祭神:主神・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)
    配祀・木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
      ・彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと) 
創 建:(社伝)安閑天皇の代(531~535年)
社 格:延喜式内小社・旧村社
例 祭:10月第2日曜日 秋祭
指 定:ー
鎮座地:埼玉県大里郡寄居町富田1508

「小被」を【おぶすま】と読める人は少ないでしょう。この小被神社のある旧郡名は「男衾郡」で、
これでさえ【おぶすまぐん】と読める人は多くはないでしょう。
知らない人は小被神社を「こひじんじゃ」と読むそうな。
「延喜式」神名帳に登載される男衾郡3座の一つで、古代から郡の惣鎮守として崇敬されているこの
小被神社は、富田鹿が富田村字塚越(現在の不動寺境内)に祠を建て、小被神を祀ったのが始まりと
伝えられるようです。
寛文9年(1669)には、富田村民と、天正8年(1580)の荒川の大洪水で移ってきた赤浜村民の間で発
生した領境論争により、現在の鎮座地に移転したとのことです。





『一の鳥居』  若干褪せていますが黄色の鳥居です。
左側のコンクリート円柱は『社号標』で【延喜式内小被神社】と刻まれています
右側の石碑には【武蔵国延喜式内小社小被神社 延喜式撰上一千年蔡記念碑】とあります




『一の鳥居』 この先正面に小被神社の社叢があります




『扁額』【延喜式内 小被神社】と揮毫されています




農道そのものですが『参道』です




『二の鳥居』の正面に来ました
道路を横切り境内に  右側の建物は『社務所』




『二の鳥居』 こちらは普通の白い鳥居・・・何をもって普通というかは?




『小被神社説明板』




     小被神社 略誌
鎮座地   埼玉県大里郡寄居町大字富田字宮田1508番地
御祭神   主神 瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)
      相殿 木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
      相殿 彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと) 
由  緒  富田邑は、第27代安閑天皇の朝、1470年前郡家郷富田鹿、塚越に居住せしに始り、
     富川鹿が郡内鎮護のため創祀せりと、伝承。 延喜式内社 第60代醍醐天皇延長5年平
      安時代中期に編纂された有名な書物に登載されて居ると云事。本年より数えて1081
      年前。
      男衾郡総鎮守
      旧村社
御神徳   主神 瓊瓊杵尊は皇祖天照大神の御孫にて豊葦原の瑞穂国を最初に治められた神、農耕
      殖産興業等日常生活を営む上に欠くことの出来ぬ御神徳を有する神様。
      相殿 木花咲耶姫命、主祭神の奥方、燃ゆる火のなかでお産をなされた故事にあやかり
      てお産の神様。また美麗なる神様。富士浅間神社の御祭神。
      相殿 彦火火出見尊、彦は男子の美称、火火は稲の穂の豊かな形容詞、主神瓊瓊杵尊 の
      御子神様で御父神様の後を継ぎ、国土経営をなされた神様。
祭  日    (省略)
   平成18年10月吉日
                                  小被神社社務所




『手水舎』




『神楽殿』




『参道』




『狛犬』




『拝殿』(社殿)




拝殿内
幔幕に入った紋は「十五菊」紋




社殿を斜めから




『御神木』




境内摂社『伊勢原 神明神社』  二の鳥居に一番近い場所




神明神社の背後に四社の境内社が並んでいます
手前から『中郷 愛宕神社』・『谷津 白山神社』・『塚越 稲荷神社』・『下郷 内の宮社』




『中郷 愛宕神社』




『谷津 白山神社』




『塚越 稲荷神社』




『下郷 内の宮社』




『牛頭 天王宮』




石祠二基




『富士浅間大神』




『社務所』




社殿前から二の鳥居方向に

参拝日:令和2年(2020)9月28日(月)

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