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深谷市畠山(旧川本町)にある「畠山重忠公史跡公園」を久方ぶりに訪ねてみました。
ここは、鎌倉時代の関東武者畠山重忠主従の墓があり、畠山氏の館があったとされる所です。
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道路からよく見える大きな看板
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この看板は嵐山町や吉見町でよく見かける看板と同じものです。重忠は嵐山町とも縁が深いですから・・・それと関係あるかどうかは分りませんが。
と言うよりも、複数の町にあるということは県の教育委員会あたりの設置かも知れませんね。
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更に、「畠山重忠公史蹟公園 川本町」の石標も
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「埼玉県指定史跡 畠山重忠墓」の説明板 重忠公の来歴が書かれています
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畠山重忠公之像 一ノ谷合戦での「鵯越の逆落」で、愛馬三日月を背負っている姿ですが、これは後世に作られた話のようです。
しかし、そうした作り話(?)が伝えられるだけの武将であったことは間違いないようです。
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同 上
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像横に置かれた「重忠公ゆかりの石」 銘文の内容は省略します
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重忠公産湯ノ井戸
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やはり「伝」の域を出ないようですね
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重忠主従の墓がある広場 黒い大きな石碑は「畠山重忠公没後800年 慰霊碑」
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重忠主従の墓(五輪塔)は覆屋の中に
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ここには新しい(と言っても10数年経っていますが)「畠山重忠の墓」の説明板
内容は、駐車場にある昭和時代のものと変わりありませんが後半だけが違っています。
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覆屋の右前方にも石標 「埼玉県指定史跡 畠山重忠公墓 並 館跡」とあります
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覆屋の扉は施錠されていますから外から覗き込むしかありません
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扉脇の格子に縛り付けてある畠山重忠墓の見取図と説明文 上下2枚とも中に寄ってしまい、くちゃくちゃになっていましたので広げられるだけ広げて
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同 上
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格子の隙間
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2号塔 3号塔 4号塔
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5号塔 6号棟
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畠山庄司重能(重忠の父)の墓 これも「伝」
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畠山庄司重能の墓説明板
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重忠公戦死後、100年忌に当たって供養のために建立されたと伝えられる板石塔婆 やはり「伝」
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上記の説明板
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重忠主従の墓の覆屋の扉に施された畠山氏の家紋「五三の桐紋」
最近、史跡を中心に散策をしていますが、そのほとんどが「墓」に行きつきます。別に墓を選んでいるわけではないのですが、史跡と言う性質上仕方ないですね。
まあ ボチボチと・・・洒落たつもりはありません
散策日:2016(平成28)年12月4日(日)