四季・めぐりめぐりて

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古代の官牧 阿久原牧跡

2024年03月04日 | 史跡・遺跡・文化財


合併により、現在は児玉郡神川町となっている旧・神泉村の阿久原地区に古代の官牧である『阿久原牧』
(あくばらのまき)
がありました。
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阿久原牧は都に献上する馬の牧で、承平3年(933)に、それまでの朱雀院秩父牧であった秩父郡石田牧と
児玉郡阿久原牧を勅使牧としたことが知られています。牧推定地の北にあたる駒形稲荷には「阿久原牧」、
西にあたる駒形神社には「阿久原牧阯」の石碑が建てられています。

                         《神川町HP 県指定の文化財阿久原牧 から引用》
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阿久原は三方を山に囲まれ、北に向かってなだらかな地で牧草も育ち、神流川の河原に出れば馬に水をや
れる等、馬を育てるにはよい環境だったようです。
古代武蔵国には阿久原牧を初めとして官牧が多かったようですが、現在地点が明らかなのは推定地とは言
え阿久原牧だけのようです。
この牧を管理していたのが 武蔵七党の一つ児玉党の武士団でした



神川町下阿久原地内を走る県道13号前橋長瀞線 右側の橋は埼玉県と群馬県の境を流れる「神流川」に架
かる「上武橋」で、この橋を渡ると群馬県藤岡市(旧鬼石町)に入ります。写真左側の木立の中に石碑が
ありました。



木立の中の石碑
この石碑が阿久原牧推定地の北にあたる駒形稲荷の「阿久原牧」の石碑のようです。



「埼玉県指定史跡 阿久原牧」とあります。
碑陰には「昭和三十四年十月三十日建設 埼玉県教育委員會」と刻まれています。
『阿久原牧跡』は昭和12年(1937)8月31日に埼玉県の史跡に指定されましたが、昭和36年(1961)9月
1日に埼玉県指定旧跡に指定変更されています。



駒形稲荷は、「阿久原牧」石碑のある木立のすぐ南側の小山(高台)にあるようです。


登り口の左側にある石標
「指定文化財 駒形稲荷神社 光圀の歌碑」とあります。



左側の石祠が「駒形稲荷」神川町指定文化財(昭和44年〔1969〕11月1日指定) 神川町下阿久原356
右側の石碑が「光圀歌碑」です
児玉党の祖有道維行(ありみち これゆき)の創建と伝えらる
想像していたよりも小さな稲荷様 徳川光圀が「阿久原の牧の稲荷に鈴かけていななく駒にいさむ武士」
と詠んだという稲荷社といわれています。境内には歌碑が建てられています。



『駒形稲荷』 児玉党の祖有道維行(ありみち これゆき)の創建と伝えられる。
想像していたよりも小さな神社(祠)でした。



『光圀歌碑』
「阿久原に遠峰惟行のあとを訪ねて 源 光圀  阿久原の牧の稲荷に鈴かけて いななく駒に いさむ武士」
と刻まれています。
これは元禄8年(1695)3月18日に、徳川(水戸)光圀が総勢7人で児玉党の旧跡を訪ね、歌を詠みました。
このときに詠んだ歌がこの歌で、ここに言う阿久原の牧の稲荷というのがこの駒形稲荷だということのよ
うです。但し、歌碑の建立がいつかは不明です。

この後、阿久原牧推定地の西にあたる駒形神社にある「阿久原牧阯」碑を訪ねてみようと探したものの、突
然の思い付きでしたし予備知識もないままに適当に探してみたので行き着かず、次の予定もあったことから、
後日改めてと途中で諦めました。そして、駒形神社の「阿久原牧阯」碑を訪ねた後に、今回の駒形稲荷と合
わせて今回の投稿をしたかったのですが、予定が狂ってしまったことから、取りあえず駒形稲荷・阿久原牧
の石碑だけの投稿とさせていただきました。


散策日:令和6年(2024)2月24日(土)

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