散歩日記X

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「暴れん坊将軍」の話

2009年01月05日 10時13分23秒 | Weblog
私は結構時代劇が好きだ。好きな順番に「暴れん坊将軍」「遠山の金さん」「必殺仕事人」「水戸黄門」等になるだろう。

好きな理由は「様式美」にある。「マンネリ」ともいうが、実世界の中で訳のわからないことがたくさん起きる中、かならず典型的なパターンで悪が懲らしめられることに安らぎを見出すのは悪いことではあるまい。

とはいえ、悪にもひと工夫が必要だ。割と「水戸黄門」の悪人なんかはつまらなくて、印籠が出たらちょっと驚いて土下座。これでは物足りない。私が「水戸黄門」で好きなのは、弥七が天井裏から顔を出すシーンと、うっかり八兵衛が食べすぎで腹を痛くするシーンだ。

必殺仕事人は悪人側は意外と描かれていないので、飛ばす。

「遠山の金さん」の悪人は最初のうちは調子がいい。お白州に引き出されて罪状を告げられるも、「じゃあ、その金さんとやらを連れてきてもらいましょうか」と悪の大将がとぼけると、「そうだ、そうだ!」「金さんとやらはどこにいるんでえ」等と小物たちも騒ぐ。

ここでその見知らぬ人を「金さん」となぜか”さん付け”なのも不思議である。が、しかし金さんが桜吹雪を見せると、悪人は肩を落として落胆、あっけなく罪を認めるのがいさぎよいというか、工夫が足りない。

そこで「暴れん坊将軍」だ。
最後に悪人たちの前に上様が現れ「欲に目がくらんで、余の顔を見忘れたか」というと、江戸城で上様に会ったシーンがカットイン。「あっ」と驚いて、まずは土下座だ。

しかし土下座の中にも心を決め、一番一般的なセリフが「上様がこんなところにいるはずがない。こやつ上様の名前を騙る痴れ者。切れ切れ、切りすてい!」である。ここに封建制度と悪の心の葛藤を見るのである。

「上様にはむかうことはできない」

「しかし、この状況を逃れるためには、切るしかない」

「これが上様でなければ、切り捨てご免なんだけどなあ」

「そうだ、上様でないことにしちゃえ。大体こんなど田舎に上様が一人で来るのがおかしいよな」

上記のセリフに至る

という心の動きが見てとれないだろうか。私はこの小芝居が大好きなのである。たまに違うパターンもあって、悪の中でも手ごわい奴は「ええい、上様でもかまわぬ。切りすてい!」というやけっぱちな発言をする奴もいる。

年末のスペシャルを年越ししてから見たのだが、今回は悪の女が「上様とて容赦は無用」と言っていた。さすがに上下関係にとらわれていない立場の人の発言であるが、もう少し心の葛藤が欲しい所であった。

他に「暴れん坊将軍」の好きなところは、最後に悪人の手下が「上様の名前を騙る痴れ者、切れ切れ、切りすてい」という命令に従ってかかってくるのだが、基本的には上役の命令に従っているだけで、真の悪人ではないという設定である。そこで上様は「シャキーン」と刀を返し(←このシーンが好き)、すべて峰うちで倒すのである。そしてここで流れる「暴れん坊将軍のテーマ」が、またカッコイイ。

また、松平健の殺陣がなかなかの出来で、円を描くような風格ある殿様剣法が上手く表現されていると思う。途中の見栄を切るシーンで「カーン!」という効果音が入るのも心憎い限りである。

さあ、ずいぶん年末年始は下らないことを書いた。私は普段もあまりこういう雑談をしないため、マンガやTV番組の話をすると驚かれることが多い。

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