ばばちゃんのおっちゃんの日本語の先生への道

日本語の先生になろうと一念発起いたしました。

その7

2015-06-19 11:11:20 | 6.私の感想・考え
私のstudyの方向性
 なかなか方向性を見出だせなかったので、現在、本を読み漁っているところですが、やっと、日本語教師の草分け的な佐々木瑞枝先生の意見を参考にして、ある程度見えてきました。

 「学び手の会話が拙いのは、教え手の私の教え方が拙いからだ」ということで、それも、単に、言葉だけの話だけでなく、全人的に自分を磨かなければならないことのようです。
 日本語だけでなく、日本、日本人の説明が、きちんとできなければなりません。
(最初、海外に出た時、強く感じたことが、「知っているようで知らない日本」ということで、満足に日本の説明が出来ませんでした。またしても、再確認致しました。)

 先ず、指導者講習の受講とは別に、ボランティアの教え手としての最短コースを模索、実践すること。
 則ち、学び手がよく陥る間違い、良くする質問を網羅して、この世界で何が起こっているのか包括的に認識すれば、自ずと傾向と対策が見えてくるのではないでしょうか。そして、ひとつずつ、正しい説明や解決方法を、兎に角、頭に入れ、そしてそれを、定着させ、頭の引き出しから瞬時に取り出せるようにしたい。
そして、学び手のパーフォーマンス向上のための私なりの提案を示すこと。

 現在、新たに認識しましたことは、日本語の用語の中に、「意図」「気持ち・感情」が含まれていることで、「日本語は、文末が、微妙に変化しますので、最後まで聞かないといけません」とは、よく言いますが、そうばかりでもなく、最後まで聞かなくても文末の推測ができたり、言わんとしていることが、容易に読めたりする場合もあるようです。従って、最後まで話さなくても、日本人同士が、意思の疎通が出来るのは,その為ではないでしょうか。
 日本人同士は、同じリンク、土俵で、やりとりをやっているので、問題有りませんが、別のリンク、土俵で育った学び手にとっては、別のリンク、土俵に乗り移らなければなりません。大変なことでしょう。
 また、類似語、同義語であっても、良い意味の用語や良くない意味の用語がありますので、文章の前、後ろで、その選択を誤りますと、ちぐはぐな日本語にもなってしまうようです。
 

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