本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

合掌、聞法

2017-04-16 17:24:09 | 住職の活動日記

我が家の孫たちも入園、入学と

新たな世界へ旅立ちです。

「いかない ❗ 」

と言っていた孫も

新しい友達ができたようで、

楽しく通園しているようです。

 

西京極幼稚園でも、

新しい園生活が始まったようです。

 

届いた、「たんぽぽ」4月号

今月の徳目は「合掌、聞法」です。

少しご紹介します、

 

さて、感じ方は人それぞれでしょうが、

形からでも構わないので、

「合掌」をしてみてください。

手と手を合わせてみてください。

すると、

手の温かみや、

姿勢が正しくなるような

感覚が得られませんか。

手と手を合わせる。

ただそれだけの行為にもかかわらず、

「合掌」をしていると

荒げた行動はとれません。

まして、手を出すこともできません。

 

仏教では、

すべての人には仏心

(仏さまの心情)が

備わっているといいます。

つまり、

自分の中の仏さまと、

自身が合わさることが「合掌」の

姿ということができるのです。

実生活の中でも食事を頂く時などに

自然と手を合わせることができる

姿には自らが仏となることで

感謝の心を表しているのです。

「合掌」とは、

自分が自身の中にある仏に語りかけ

自分自身を見つめ、

自らを愛おしみ大切にすることを実感し

その心を他者にも向けることを

意味しています。

 

「聞法」とは尊い教えを聞き、

自らがその実践を修することをいうため

「合掌聞法」という徳目は、

普段からしっかりと自身と

向き合うことを通じて、

自らを大切にすることに気づき、

様々な関わりの中で、

他者の存在を認識し、

感謝し、

敬うという「合掌」の精神と、

話を聞き、

学び合うという「聞法」の

姿勢により、

一人では得られない作用から、

見聞を広め仲間と支え合えるような

環境を作ることに

繋がっていくことになります。

 

 

と書いてあります。

簡単な一文のようですが、

この年になっても、というか

この年だからこそ、

というか、頭が固くなり、

人の話を聞けなくなってきた

私たちにとっては身に堪える

言葉です。

 

先日のこと、

同世代の人が集まって、

話し出したら、

それぞれが喋りだし

収集がつかなくなってきました。

今、喋らなかったら忘れてしまう

だから今、言わなくては

というのです、

そしてさらには、主語もなく

突然単語が飛び出してくる、

話のキャッチボールができない。

なかなか悲しい年になってきました

 

話を聞くという習慣

小さい頃から育てておかないと

いけないということを

つくづく思い知ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
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