「 醍醐寺文書聖教 」 ( だいごじ もんじょ しょうぎょう )
が国宝に、と文化審議会が下村文部大臣に答申した。
という記事が、熊日新聞社会面に掲載されました。
やはり、国宝になるというと地方紙でも取り上げられるのです。
長年の地道な研究の賜物でしょう。
6万9378点の資料です。
目録を作るだけでも、相当の年月がかかったことでしょう。
角筆 ( かくひつ ) 研究の第一人者
広島大学の 「 小林芳規 」 先生も
長いこと携わってこられたのでしょう。
昭和51年ごろにも、東寺の文書の調査にお見えになっていました。
すでにそのころは、「 醍醐寺文書 」 の
調査に入られていたと思います。
面白いことは、本来の研究とは別に、
文書が入っている箱の隅に何気なく入っている
紙を畳んだもの、それが当時の米とかミソの値段を書いたもの
だったりして、その頃の生活ぶりが窺えたりするのです。
古文書調査というのは
ありとあらゆる方面のことが明らかになってくるのです。
国語という一面、お経としての価値、
その当時の経済状態、紙の種類の研究、
いろいろな分野の先生方にとって
まさに宝の宝庫というべきものです。
このたび、一括で 「 国宝 」 に
指定されるということは何よりもめでたいことです。
先生方の長年のご苦労に
何よりのご褒美となったことでしょう。
また、同じ欄には、
高野山では宗会が解散した、という
きな臭い記事も載っています。
やはり、高野山ともなると宗会の解散でも
地方のローカル紙には掲載されるのですね。
お坊さんの世界でも、不信任案可決
そして宗会解散と、世俗と同じことがおこっています。
本山ともなるとやはり政治の世界で、
いろんな利権が絡み合っているのでしょう。
宗会でもめるのもいいのですが、
金銭でどうしたこうした、というのはいけません。
もっと、教義について、喧々諤々戦わせるのは
宗教も生きている証拠なのでしょう。
しかし、 … なんとも
悲しい出来事です。
今日の記事は悲喜こもごも
社会面は踊っていました。
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