「 道具 」 という、
すばらしいものが出来てくるのは、
自分に合った 「 道具 」 があればこそ
と思います。
職人さん方が見事な品を作っていかれるのは
工夫されたら道具を使いこなされるからです。
私たちも、鐘 ・ 念珠 ・ 衣 などなど、
使いやすい馴染む物があればこそです。
鐘の音色も自分の声の高さにあったものが
あれば、お経もとても読みやすいのです。
先日訪れた 「 京都和久傳 」
たまたま、カウンター席で目の前で
料理されているところを
拝見することができました。
よく手入れされた包丁で
お造りを作っていかれます。
「 鱧のうす作り 」
あの細長い魚です。
それを薄く薄くふぐ刺しのように
すけるように切り分けていかれます。
その包丁さばきは見事です。
一匹の鱧を 「 出刃 」 を使って
骨をとり、おつくりが出来るように
切り分けていかれます。
そして、皮を丁寧にはずし
きれいな身ができてきます。
ここは、鯛の切り身を作っていかれます
今見ただけでも3本の包丁を使い分けておられます。
道具を使いこなしていかれる、
それが見事な料理に変身していくことを
見せていただきながらの食事は
とても興味深く楽しいものでした。
また、今読んでるところで、
『 道具 』 ということを、一語として
考えるのではなく、 「 道 」 と 「 具 」 とわけて
見る見方もあるのではないか ? と、
「 道 」 とは、
柔道 ・ 剣道 ・ 茶道 というように
一つの道を究めていく道程、
仏教では 「 仏道 」 というように
人間が本当の人間になっていく 「 道 」
「 具 」 とは、備わるとか、運ぶ という意味もあります。
大乗仏教とかの 「 乗 」 という意味にもなる、と
だから、 「 道具 」 というのは
人間を本当の道に置くところの道具、
仏道への一つの 「 具 」 ということではないかと、
そういうことが、よみがえり
京都和久傳んさんの包丁捌きを拝見しながら
思っていました。
今月も、驚きと感動のある料理を頂き
とても楽しいひと時でした。
また、来月も京都へ行く用事があるので、
お邪魔できればと、
楽しみにしています。