これは一茶の句です。
今の時代、なかなか、
我が家で死ぬということは
難しい時代になりました。
( 自宅の場合、お医者様がいらっしゃらないと
警察の検死ということになり、
ご遺体も司法解剖ということになりかねません。)
2月15日は 『 お釈迦さま涅槃会 』 でした。
沙羅双樹の下で、頭を北に顔を西に向けて
お亡くなりになりました。
『 涅槃 』 とはインドの言葉で 「 ニルバーナ 」
という言葉をそのまま音写したのです。
意味は 「 吹き消す 」 ということで
言葉の持っている本来のニュアンスです。
一切の煩悩が燃え尽きた、という
内容を含んでいます。
そこから、お釈迦さまの最後のお経 「 涅槃経 」
を見ると、最後の言葉は
「 他に依るな 」 とおしゃっている
では何に依ればいいのか
「 法に依れ 」 と、
そして、
「 自らに依れ 」 と。
法と自ら以外のものは 「 他 」 です。
私たちを仏に導く真理 ( 法 ) に依れと。
そして、その真理によって明らかにした自覚に依れと。
つまり、主体性の確立です。
『 真理によって主体性を確立するんだ 』
ということがお釈迦さまの遺言です。
そこから涅槃ということも意味が広がっていって、
そのものになりきって生きる、
ということも涅槃という意味合いも含んでくるようになります。
『 無住処涅槃 』 ( むじゅうしょねはん )
その場その場で、自分を出し切って生きる
そのときそのときで完全燃焼して生きる
そういうことも 「 涅槃 」 というようになったのです。
昨日の、 TBS 『 Aスタジオ 』 というテレビ
笑福亭鶴瓶の司会でゲストは
サッカーの 『 中山雅史 』 さんでした。
彼の言葉に、
「 あきらめない
ひたむきさ
100パーセント全力を出す 」
という、まさしく
このことも 「 無住処涅槃 」 ではないかと感じたのです。
私たちは、仕事のときは、休みのことが気になるし
休みになれば、また次の仕事のことがが気になる。
心と身体一つになれないものです。
「 かたつむり どこで死んでも 我が家かな 」
無住処涅槃を地でいっているような生き様です。
その場その時がわが人生のすべてである。
一茶という人の目の付け所が素晴らしい !!
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