本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

「 かたつむり どこで死んでも 我が家かな 」

2013-02-23 07:26:08 | 住職の活動日記

 これは一茶の句です。

今の時代、なかなか、

我が家で死ぬということは

難しい時代になりました。

 ( 自宅の場合、お医者様がいらっしゃらないと

   警察の検死ということになり、

   ご遺体も司法解剖ということになりかねません。)

 

 2月15日は 『 お釈迦さま涅槃会 』 でした。

沙羅双樹の下で、頭を北に顔を西に向けて

お亡くなりになりました。

 『 涅槃 』  とはインドの言葉で 「 ニルバーナ 」

という言葉をそのまま音写したのです。

意味は 「 吹き消す 」 ということで

言葉の持っている本来のニュアンスです。

 一切の煩悩が燃え尽きた、という

内容を含んでいます。

 そこから、お釈迦さまの最後のお経 「 涅槃経 」

を見ると、最後の言葉は

 「 他に依るな 」  とおしゃっている

では何に依ればいいのか

 「 法に依れ 」  と、

そして、

 「 自らに依れ 」  と。

法と自ら以外のものは 「 他 」 です。

私たちを仏に導く真理 ( 法 ) に依れと。

そして、その真理によって明らかにした自覚に依れと。

つまり、主体性の確立です。

 

『 真理によって主体性を確立するんだ 』

 

ということがお釈迦さまの遺言です。

 そこから涅槃ということも意味が広がっていって、

そのものになりきって生きる、

ということも涅槃という意味合いも含んでくるようになります。

 『 無住処涅槃 』  ( むじゅうしょねはん )

その場その場で、自分を出し切って生きる

そのときそのときで完全燃焼して生きる

そういうことも 「 涅槃 」 というようになったのです。

 

昨日の、 TBS 『 Aスタジオ 』 というテレビ

笑福亭鶴瓶の司会でゲストは

サッカーの 『 中山雅史 』 さんでした。

彼の言葉に、

   「 あきらめない

     ひたむきさ

     100パーセント全力を出す 」

という、まさしく

このことも 「 無住処涅槃 」 ではないかと感じたのです。

 

 私たちは、仕事のときは、休みのことが気になるし

休みになれば、また次の仕事のことがが気になる。

心と身体一つになれないものです。

 

 「 かたつむり どこで死んでも 我が家かな 」

 

無住処涅槃を地でいっているような生き様です。

その場その時がわが人生のすべてである。

 一茶という人の目の付け所が素晴らしい !!

 

 

 

 

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