この字を見た若い子たち、
「 うさぎ 」 に 「 つの 」 一体どういうことだろう
お母さんから届いたメール
意味も不明、友達にも送ったりして推測したようです。
「 お母さんは怒っているのか ? 」
おとなしい優しいウサギに角が生えた、ということは
一応 「 ゴメンナサイ 」 と返事しようか
ま~ 「 ありがとう 」 といっておこうかと、
いろいろ悩まれたということでした
あとで、 「 とにかく 」 ということが判明したようです。
この文字も死語になっているのでしょう。
言われてみると、不思議な字です。
『 兎角 』 ( うさぎにつの ) がなんで 「 とにかく 」
単なる当て字のようですが、
『 兎に角 』 と一般的に使う 『 兎角 』 と、
仏教用語としても数多く出てくるようです。
『 兎角亀毛 』 という言葉として出てきます。
とかくきもう
兎に角が生えるわけはないし、また亀に毛が生えるわけでもない、
ということで、実在しないもののたとえとして使われるようです。
『 言葉は妄想であって、兎角亀毛のようなものである 』
( 楞伽経 りょうがきょう )
仏教では一切が空であると説きます。
水中の月 虚空の花 鏡中の像 空中の鳥跡
などのように 「 あるけどない 」
すべてのもは実在があるようだけれども、本来は空なのだ、
と説くのです。
夏目漱石も 『 草枕 』 の冒頭で
「 智に働けば角が立つ 情に掉させば流される 意地を通せば窮屈だ。
兎角この世は住みにくい。」
と述べています。
( 大谷大学 生活の中の仏教用語 163 ) に詳しく述べてあります。
また面白いのは
『 弘法大師・空海 』 が24歳の時に著された
『 三教指帰 』 ( さんごうしいき ) という中で、
一つの例え話として、
『 兎角公 』 という人の甥に 『 蛭牙公子 』 という不良少年がいて
しつがこうし
その少年の更生を 『 亀毛先生 』 にお願いするという、話があります。
この物語は空海が24才の時、何故、自分は仏教で出家するのかという
儒教と道教と仏教を比較して、述べておられるのです。
このころから 『 兎角 』 『 亀毛 』 という言葉は
普通に使われていたのでしょう。
私にも勉強になりました。
「 うさぎ 」 に 「 つの 」 一体どういうことだろう
お母さんから届いたメール
意味も不明、友達にも送ったりして推測したようです。
「 お母さんは怒っているのか ? 」
おとなしい優しいウサギに角が生えた、ということは
一応 「 ゴメンナサイ 」 と返事しようか
ま~ 「 ありがとう 」 といっておこうかと、
いろいろ悩まれたということでした
あとで、 「 とにかく 」 ということが判明したようです。
この文字も死語になっているのでしょう。
言われてみると、不思議な字です。
『 兎角 』 ( うさぎにつの ) がなんで 「 とにかく 」
単なる当て字のようですが、
『 兎に角 』 と一般的に使う 『 兎角 』 と、
仏教用語としても数多く出てくるようです。
『 兎角亀毛 』 という言葉として出てきます。
とかくきもう
兎に角が生えるわけはないし、また亀に毛が生えるわけでもない、
ということで、実在しないもののたとえとして使われるようです。
『 言葉は妄想であって、兎角亀毛のようなものである 』
( 楞伽経 りょうがきょう )
仏教では一切が空であると説きます。
水中の月 虚空の花 鏡中の像 空中の鳥跡
などのように 「 あるけどない 」
すべてのもは実在があるようだけれども、本来は空なのだ、
と説くのです。
夏目漱石も 『 草枕 』 の冒頭で
「 智に働けば角が立つ 情に掉させば流される 意地を通せば窮屈だ。
兎角この世は住みにくい。」
と述べています。
( 大谷大学 生活の中の仏教用語 163 ) に詳しく述べてあります。
また面白いのは
『 弘法大師・空海 』 が24歳の時に著された
『 三教指帰 』 ( さんごうしいき ) という中で、
一つの例え話として、
『 兎角公 』 という人の甥に 『 蛭牙公子 』 という不良少年がいて
しつがこうし
その少年の更生を 『 亀毛先生 』 にお願いするという、話があります。
この物語は空海が24才の時、何故、自分は仏教で出家するのかという
儒教と道教と仏教を比較して、述べておられるのです。
このころから 『 兎角 』 『 亀毛 』 という言葉は
普通に使われていたのでしょう。
私にも勉強になりました。
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