本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

仏教は何のためなのか

2024-03-29 19:42:53 | 十地経

忙しい世間からみると

仏教というもの

あってもなくても

いいような気がするのです

ある講義の終わりに

ご婦人が、質問が、

といって

「唯識は宗教じゃない

 と思うのですが」

先生は一言

「唯識は仏教です」

と、

『唯識三十頌』の最初には

衆生を利益する為に

この経を説く、とあります

ですから、

個人的な関心からではなく

一切の衆生を利益する

ということが一番の目的

になります。

 

「仏教は何の為めなのかを

最後まで押していけば

『人が人になる為』

なのです。

つまり仏教に依って

人間が成就する

というのです。

けれども、

この『人間』という考え方

にはいろいろあるでしょう

 

人間学という学問も

ありますが、

その思想とか教学が、

人間をどんな深さにおいて

捉えるかということが

あるわけです。

 

つまり、

人間の本当の要求は

何であるかということを

見届けなければなりません

 

現代社会では、

生きてゆく場合に

資本主義制度が入って来る

それで幸福になる

というものではなくて、

本当の要求が隠れてしまう

のです。

資本主義に幻惑されて、

かえって本当の要求を

忘却させられている。

 

皆が一歩でも進歩しようと

突貫してゆき、

それに遅れた人間は

弱者であり、

愚者だとされます。

けれども、

その愚者の方が本当の

要求を持っているかも

知れないのです。

 

進歩したといっても、

自分というものが

分からなければ、

進歩した愚者に過ぎません

魂がはっきりして

いなければ、

賢い凡夫に過ぎないのです

 

愚かとか賢いというよりも

もっと深い

要求があるのです。」

 

ということが

別の本ですけど

こういう一文に出会いました

ふと気になって

一体何のための仏教か

ということが問題になり

読んでいたらこういう文に

出会い

ややもすると

この『十地経講義』を

読んでいても

その目的が薄れてくる

のです。

 

何も立派なものに

なるわけでもなく

人間が本当の人間になる

これが一番の目的です

仏になるためでもなく

賢い人になるわけでもなく

本当の自分に出会う

これが一番のご利益です

 

利益(りやく)というと

「りえき」とも読み

何か金銭的なものとか

はっきりしないけど

幸せになりたいと

そういうことが利益と

いうように

考えてしまいます。

 

ですから、

自分の心の底に眠っている

本当の要求に気が付かなく

なってしまっています。

それが病気にでもなると

途端に、今までの価値観が

くずれてしまいます。

そういうとき

微かな要求として

一体本当の自分とは

そういうことが気になって

きます。

 

忙しいということも

いいようで

一つの言い訳として

でも、よく考えれば

この字は、心を亡ぼすと

書きますので

忙しい、忙しいと

言っているうちに

自分の一番大事なものを

失くしてしまうという

危険が潜んでいるようです

 

 

 

 

 

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