本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

仏道という行の歴史

2022-11-23 19:56:44 | 十地経

昨日からの続きですが、

 

「仏教が生きているという。

本がある

というようなことでない。

つまり一番大事なのは

仏道の学者がおるという

ことではない。

学者は菩薩ではない。

仏道の知識は持っている

というだけの話だ。

行じてはおらんですね。

 

仏教研究が盛んだ

ということと、

仏道が興隆しておる

ということとは別ですわね。

何かそこに、

色んな仏教の学会がある

というようなことが

何か仏道があるというような

ことだと思うというと

えらい間違いです。

 

道を行じておるという…。

こういうものは実際分からん

ですわ。

どこにもそういうものが

おるかということは。

研究発表というものは

あらしませんしね。

統計もとってあらせん

ですから。

 

仏道の歴史ならみんな

知っておるんですわ。

いやインドには

こういう歴史があった、

中国にはこういう教学が

成立したというようなことは

日本に来るというと、

真言宗があったり、

天台宗があったり、

そういう

教理の歴史はあるけど、

そういうものじゃ

ないんであって、

行の歴史ね。

 

歴史というものは

行がなければ歴史とは

いえんでしょう。

仏道が行じられとる

ところにですね、

やっぱり歴史というものが

ですね…。」

 

よく講義で出てくる

「歴史」ということですが

この言葉もよく分からない

ことなんですが、

よくこういうことを

仰っておられます。

「釈迦を成り立たせるような

教えが大乗なんだ」と、

普通の歴史からいうと

釈尊が教えを説かれ

涅槃に入られたのち

大きく二つに分かれ

それが大乗仏教となり

もう一つが小乗仏教になった

その大乗仏教が

中国へ渡り、

日本に伝来したと、

これが普通いう歴史です

 

ところが「行」仏道を行じる

となると

ところが、

教えの歴史からいうと

釈尊を生み出すような教えが

大乗仏教だと。

なかなか分かりにくい

ことなんですけど、

仏道を実践してこられた方の

言葉なのでしょう。

 

まあ、時ということも

二つあって

カイロスとクロノスという

ギリシャ神話の神ですが

クロノスというのは

普通に流れていく時間、

カイロスというのは

面白い風貌で

前髪は長いが後は禿ている

美少年として描かれます

チャンスの神は前髪しかない

ということを表している

ようです

時というものは

ただ流れていくものではなく

その一瞬をとらえる

チャンスというものは

虎視眈々と狙わなければ

訪れないということです

 

また、人との出会いも

何もなければ挨拶だけで

終わってしまうものですが

この人という

そういう出会いがあれば

その出会いは「時」が止まる

というか

貴重な時に変わってきます

ただ過ぎていく時ではなく

一瞬一瞬が輝く時に

変わってくる

 

そういう時があると思います

行というものが

本当に実践される時

それは流れていく時ではなく

止まったような時間になると

思います

ですから、

クロノスという時間を持てる

人にのみチャンスもあるし

時間も生きてくるし

行というものが完成する

そういう時が

あると思うのです。

 

 

 

 

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