本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

行のないところに人間はない

2022-11-22 20:58:33 | 十地経

仏教といっても

坊さんのものでもなく

道を歩む、道を行ずる人の

ものである

ということが

安田先生の教えの中心

じゃないかと思うのです

 

「仏道というものを

宗派的に考える必要は

ないんであってですね、

菩薩というのがこれが、

仏教的な人間なんです。

仏道というものに生きている

人間を菩薩という。

 

別に坊さんという意味では

ない。

自分が生きているじゃない

というような意味、

道を通して人類と共に

生きているというような

ですね、

道を通して人類と共に

生きていると。

そこに本当の人間があり、

本当の人生という、

生があるわけです。

 

その場合に大事なことは

行ということじゃないかと

思うですね。

我々は行というものを

特殊に考えるんですよ。

座禅するとか念仏するとか

あるいは加持祈祷を

やるとか、

そういうような、

特殊に考えるから、

 

つまり

宗派的仏教に考えるから

何か特殊なものだと思うけど

そうじゃない。

行のないところに

人間はないわけですよ、

行のないところに

仏道はないんだ。

仏道のないところに

人間はないわけです。

 

仏教が生きている

ということは仏教が

行ぜられておるからね、

それで仏教が生きている。」

 

道とか

道を行じるとか

難しいようですが、

 

「道という言葉に

 迷うことなかれ

 朝夕己が為すわざと知れ」

 

という言葉があります。

毎日自分が行っている

何でもない行いの中に

本当の行が潜んでいるのです

流されていく日々の行為

当たり前と捉えるか

千載一遇のチャンスと

考えるかで

日々の一瞬の出来事が

流されていくか

輝く一時となるかは

自分次第ということでしょう

 

人生はやり直すことは

できないが

見直すことはできる

 

と仰った先人がおられます。

 

 

 

 

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