四諦(したい)・
八正道(はっしょうどう)
お釈迦さまが最初に説かれた
教えで、初転法輪といいます
(しょてんぼうりん)
お坊さんになると
まず教えてもらう教えです
この『十地経講義』でも
出てきまして
安田先生がどのように
説かれるか興味のあるところ
です
その前に四諦の内容は
苦聖諦クショウタイ、
苦集聖諦クジュウショウタイ
苦滅聖諦クメツショウタイ
苦滅道聖諦クメツドウショウタイ
で、略して苦集滅道と
いいます
第一は(苦聖諦)
迷いのこの世はすべてが
苦であるということ、
第二は(苦集聖諦)
苦の因は求めて飽くなき
愛執であるということ、
第三は(苦集滅聖諦)
その愛執の絶滅が苦を滅した
究極の理想境であるということ、
第四は(苦集滅道聖諦)
この苦を滅するには
八正道によらなければ
ならないということ、
というのが四聖諦の内容です
講義では
「人間といっても、
人間は言葉を語るものとか
道具を作るものとか、
いろんな規定があるけれども
『何よりも大事なのは
苦しんでいるもの』
という意味です。
生きているということは
苦しんでいるということだ。
しかし楽しみも半分ある
じゃないかと、
こういうようにも考えるけど
そうじゃない。
苦にも色々あって、
苦苦というのもあるけど、
行苦というわけで
すべてははかないもの…
行… 諸行無常です。
常なきものということが
苦なんです。
別に痛いとか
そんな意味の苦じゃない。
そんな意味の苦は苦苦です。
そうじゃなしに
生きていることが苦だと
いう場合、行苦。
苦もあり楽もあり、
半分半分というような
ものじゃない。
苦ということが
人間存在の本質なんだ。
こういうような存在を考える
のを実存というわけです。
仏教というものは初めから、
仏教における人間存在は
実存としての存在です。
苦悶するとか煩悶するとか
悩むとか、
そいうことのない人間には
仏道はいらんわけです。
それが一番大事なことです。
生きていることに
悩みも苦しみもないものに
仏道はなにも
必要のないものだ。
苦しまんでも
必要だというのは興味、
知的興味です。
それも
一つの興味あることだと
いうようなものだ。
人間は何にでも
興味をもちますから。」
やはり中心は「苦」です
それで苦も四苦八苦という
見方もありますが
別に「三苦」といって
苦を、苦苦、壊苦、行苦
という見方があります。
苦苦は好ましくないものから
感じる苦で、
病気とか貧乏とか嫌なことが
目の前にあるという苦です。
病苦とか怨憎会苦、求不得苦
これはグフトックと読みます
こういう嫌なものがやってきた
というのが苦苦です
それから、
壊苦、
自分にとって好ましいもの
が去っていく
壊れていくという苦で
老苦、若さが去っていく
死苦、健康で元気にしていた
それが壊れてついには死
ということです
もう一つ
愛別離苦というのも壊苦に
なります
いとしい愛する人との
別れです。
そして人間に分りずらいのが
行苦です
これは生苦と五陰盛苦です
一瞬たりとも変わらない
ことはないという
お釈迦さまの出家の動機も
この行苦ということが
一番の問題になったのです。
四諦の問題も
その最初で根本は「苦」
ということです
宗教でも苦から出発している
のは仏教だけでしょう。
八正道まで
たどり着きませんでしたが
また出てくると思います。