本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

「集」ということ

2018-08-19 20:21:49 | 十地経

お釈迦さまが最初に説かれた教説は

「四諦八正道」といわれています。

四諦、四つの真理です。

苦・集・滅・道

(く・じゅう・めつ・どう)

ということですが、

「集」ということが

「十地経講義」のなかであらためて

その意味に気付かされました。

 

「苦」ということは、

迷いのこの世はすべてが苦である。

ということですが

この認識もなかなかできません

「人生楽ありゃ苦もあるさ」

という歌もありましたが、

ただ苦しいというだけでなく

行苦という、

すべては諸行無常というか

一瞬たりとも同じものではない

ということの深い認識、

 

昨日のNHKのテレビ

「最後の授業」で福岡伸一先生

「生命とは流である」と、

人間の細胞も一年も経てば

すべてが入れ替わっている

ということです。

おれが俺がと言っているのですが

細胞的には一年前の俺という物質は

もうないということです。

 

そこに固執しているところから

人間の苦しみが始まります。

それで、

「集」ということは

その苦の原因は求めて飽くなき

愛執である、と

そういうものが寄り集まって

苦ということを成り立たせている

ということです。

 

「集」という字は

小鳥が木の上に集まっている

という形から出来ています。

ただ集まるというだけでなく

「集起」という引き起こしてくる

そういう積極的意味があります。

講義の中では、

 

「苦集滅道といわれますが

 苦を集起、

 集めるというんじゃない

 苦というものを

 引き起こしてくるという

 意味です。

 集起というのは愛ということです

 愛という一つの煩悩ですね。

 愛というものが、

 苦というものを集起してくるんだ

 愛の因縁によって苦が成り立つ

 ただ苦自身があるもんじゃない

 愛を縁として、

 愛の因縁によって、

 因縁集起です。」

 

「集」という字には

ただものが集まる、とか集まって

というようなことではなく

もっと力強い

集まるということは

そこに物事を起こすという

ということがあるのです。

 

悪い意味では

「因縁を付ける」というか

「難癖をつける」という

人に言いがかりを付けるという

いろいろな欠点を見つけて

それを集めて言いがかかりを

起してくるわけです。

 

経典では

「因縁生起」という言葉もあります

そこから、

縁生とか縁起という言葉も

出てきます。

因縁が生起してくる

人との出会いも何かの因縁

そこで縁が起こってくるか

それともただすれ違っただけの

縁に終わるのか

そこには縁によって

その縁が生起してくるという

ことになれば、

人との出会いが豊かにもなり

縁が切れる苦しみも味わい

人生の深みも出てくるのです。

 

何気なく「集」ということも

考えていましたが

こうやって講義を読んで見ると

改めて深い意味を知りました。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする