本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

戦争の遺品

2018-08-07 16:34:10 | 住職の活動日記

今はもうないのですが

修行大師を建て替える平成4年まで

修行大師の花立として使っていた

ものがあります。

それは焼夷弾の筒なのです。

 

子ども心に聞いていたのですが

本蔵院にも2発の焼夷弾が落ちた

それをみんなで消し止めて

焼夷弾の鉄がとても立派だったので

花立に再利用したということです。

 

熊本市内も焼夷弾が落ち

幸い我が本蔵院はなんとか

その難を逃れた、

ということですが、

なぜ消し止められたのだろう

と、不思議に思っていました。

焼夷弾が途中で引っかかり

家中広がるので天井を外せ

という命令が出たそうですが

なんてことはない

焼夷弾の威力は

屋根を貫き、天井も床も貫いて

床下でその油が一面に広がった

ということです。

そこで、箒やらむしろで叩いて

消し止めたということです。

 

1発は風呂場の着替える所に落ち

着替えの所の床は上から

貼り継ぎしてありました。

もう1発は裏庭の築山に当たって

それが横に跳び表庭で燃え広がった

ということです。

 

先日の京都新聞の『凡語』には

広島原爆投下のことを

「米軍の空襲予告ビラを見た市民は

 一斉に郊外や山間部へ避難を

 始めた。

 ことろが官憲がその列に

 立ちはだかる。

 『防空要員』として空襲に

 立ち向かえ、というのである。」

 

何だかわかったような

要するに空襲要員ということで

焼夷弾に立ち向かい

その火を消し止めたというのが

お寺を守ったということでしょう

祖父や近くの叔父たちがみんなで

爆弾の火を消した。

そのごお寺も台風にも遭い

火事にも立ち向かい

地震にも耐えてきた。

100年近い歴史を頑張って

持ち堪えてきたのです。

 

また、供出ということで

お寺の鐘や仏具、擬宝珠まで

その上、修行大師の仏像まで

お国の為に出ていかれたのです

修行大師の時は

皆でお参りをして赤いたすきを

掛けて泣く泣く送り出した

ということです。

ただ、その時の錫杖だけは

密かに隠し持っていたそうで

その錫杖に合わせて

今の修行大師を再鋳造したのです。

 

この頃になると思いだすのですが

お寺の金目のものはすべて

供出して

残ったのは米軍が落とした

焼夷弾の殻が二つ、

何とも皮肉なものですが

本蔵院もこの過酷な歴史を歩み

その姿を今に止めているのは

振り返って見てみると

何とも神々しくも見えてくる

ような気がします。

 

 

 

 

 

 

コメント
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