本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

人間の尊厳性と自慢

2018-08-14 21:04:09 | 十地経

『十地経講義』も七地が終わり

これから第八地「不動地」に

入っていきます。

七地までと八地では大きく立場が

違ってきます。

それで八地からを上地といいます。

大きな転換点があるわけです。

 

そこで講義の最初に

「慢」ということが出てきます。

自慢ということと尊厳性の関係です

普通に人間の尊厳性ということを

いいますが、

踏み込んで考えると

何が人間の尊厳性なのか

どういう時に尊厳性が出てくるのか

 

講義の中では

慢ということの対治が

自慢を破ることが、そこに初めて

自己の尊厳性が明らかになると

説いてあります。

少し引用します

「慢という煩悩は非常に面白い

 煩悩で、比較するということが

 本質です。

 人と上とか下とか比較する。

 これはコンプレックスの根拠です

 人よりも劣ったとか

 人より勝れたとか、

 まあ劣ったというコンプレックス

 劣等感というものですね。

 だめだというのも一つの慢です

 だめだといったらそれは、

 謙譲というものではなく

 だめで自慢したいけども、

 自慢ができんというので

 劣等感になているわけです。

 反対に、

 人より偉いんだというと

 それは増上慢でしょう。

 では、等しいというと

 慢はないかというと

 等慢と言って

 自分はこれより下がっちゃいかん

 また人をこれより上げちゃいかん

 と平均化する

 等しいといっても別に

 公平という意味じゃない。」

 

「我慢ということが一番、

 慢の基礎なんだ。

 我慢があるからして、

 上とか、下とか、等しいとか

 いっているのであって、

 我が偉いんじゃない、

 我そのものという観念が、

 はや自慢なんです。

 自分は偉いんじゃない、

 その、我という観念、

 観念を自慢しとるんです。

 観念を自分だと思うんですね

 自分だという観念を自分だと

 固執するわけです。

 まったく主観的な、

 妄想にすぎんですね。

 人間解放というのは、

 その自慢を破ることなんです。

 

 自慢を破ると、

 そこに初めてですね、

 自己の尊厳性と。

 自分が尊厳であるという、

 つまり自己を尊重するという

 自己を尊重するからして、

 また他も尊重すると。

 これが、人間が人間になる道

 ですね。」

 

地地転入(じじてんにゅう)

ということが出てきます。

初歓喜地から第二地へと

第七地から第八不動地へと

地から地へと克服して進んで行く

そのことを転入といっています

一歩一歩という歩み

その立って歩んでいく立場

ということで地というのでしょう

その歩みは直線的ではなく

円を描くように

行きつ戻りつしながら歩んでいく

その中でも

一番大きな転換点が七地から八地

不動の大地に立つという、

これからがまた面白くなって

いくようです。

 

 

 

 

 

 

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