本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

生・老・病・死

2015-08-03 21:13:48 | 住職の活動日記

あの後、

赤い金魚も後追うように

死んだとメールが届きました。

やはり、仲良しだったのか

それとも番(つがい)だった

のかもしれません。

あの二匹でたくさんの子を

産んだのですから、

一つ心残りは、

27日に亡くなった白い金魚

そのことに気が取られて

赤い金魚に

目が行き届かなかったのです。

いつもですと、

目が合うとバシャバシャと

尻尾を振って、

ゲンキですよ!!

言わんばかりにはしゃいで

みせます。

たぶん28日も何か言いたげに

出てきてたのでしょう。

それに気がつかなかったのが

心残りです。

 

「生・老・病・死」

生まれたものは次第に老いて

病気になり死んでいきます。

自然の摂理です。

「諸行無常」

すべてのものは一瞬たりとも

同じ姿でいることはできない。

成長している時もあろうし、

やがて老いていくときもある。

 

分かっているようで、

このことが分からない。

というか、受け入れることができない

また、受け入れようとしない。

年老いて行っているのは

その通りなのですが、

アンチエイジングではないですが

老いることに逆らって

出来る限り若くありたいと願う。

事実を受け入れたくない、

生老病死ということを

少しでも先延ばしにして、

一時でも忘れようとしている。

 

雪山童子の物語、

真理を求めて山中を彷徨っていた

雪山童子、どこから聞こえてくるのか

「諸行は無常なり、

これ生滅の法なれば」

まさしくこれこそが真理の声

しかし、見るとそこにいるのは

大きな口を開けた羅刹、

人の肉を食うという、

後の半偈を聞くために

自分の身をその羅刹に捧げて

教えを聞くという物語、

 

今の私たちにとっては

「諸行無常、是生滅法」

という言葉も真理の声として

響いてこない。

それほど呑気になに不自由なく

暮らしているのだろう。

事実を見れば、

もういつ死んでいい年

になってきている。

 

最近、身近に可愛がってた

生き物との別れが続く、

やはり元気をなくした

バラが、

手入れの仕方も知らなかった

ということもあり、

次々と枯れていく、

いつまでも元気でいるということは

できないにしても、

いつかは別れがやって来る。

 

「諸行無常」

どう受け止めたらいいのだろう。

いつ死が来るかもしれない、

であればこそ、

今の一瞬一瞬を

それこそ、精一杯いきなければ

といいつつも、体も

頑張りがきかない身体になっている

 

赤い金魚も

いのちの火が燃え尽きるまで

生き抜いたのだろう。

いろいろあったけど

本当にご苦労さまでした。

 

 

 

 

 

 

 

コメント
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