私の母が亡くなって半世紀になります。
母は5月8日に生まれ、5月14日に47歳で亡くなりました。
結婚したのも5月だと聞きました。
5月は私にとって特別な月です。
50年経っても母の歳を数えています。
自身が孫もいて、おばあちゃんになったのにおかしいですね。
でも母は私が結婚した時も、子どもが生まれた時もいませんでした。
先日、保存している写真のデータの中に母の子ども時代からのものがあり、
5月の薫風の中に母を偲んでいます。
これは母が子どもの頃家族で撮った写真です。
母は佐世保で5人兄弟の長女として生まれました(前列左です)。
下の弟が生まれていない頃のこと。
父親に抱かれている叔母だけが今91歳で健在です。
踊りが好きで、20歳の頃まで習っていたようです。
そして子育てが一段落して、40代に入ってから日本舞踊の稽古を再開しました。
母の唯一の趣味でした。
私も小学生の頃、バレエを習っていたのは母がやらせたかったからでしょう。
娘時代の母、私の好きな写真です。
何の苦労もないような華やかな表情をしています。
結婚して、母になって28歳頃のお正月の写真でしょうか。
一番上の母の写真よりも少し幼い私が隣に立っています。
その横が弟、そして父、後ろに立っているのは母の末弟、遊びにきていたのでしょう。
写真館で母だけがカメラ目線でないのはなぜ?
年末年始の家事で疲れていたのかしら?
お正月が晴れの日であった、遠い日の昭和の家族写真です。
母が亡くなった年齢をとうに越してしまった私ですが、母ができなかった娘の結婚式
を見ること、孫の顔を見ることができた自分の幸せを感謝しています。
母の娘時代は何不自由なかったと思うのですが、誰もがそうであったように戦後は苦労した
ことでしょう。
ただただ、夫と子どものために生きた昭和の女性でした。
あと10年長く生きてくれれば、親孝行も少しはできたかもしれませんが、
看病はしたものの、親としての母の気持ちを慮るには私は若すぎました。
5月20日はふるさとの親友の誕生日でした。
彼女は確か中学の頃に母を亡くしています。
カードに「私たちは母親の分まで長生きするよう、神様が命を与えてくれたのかもしれない」
と記し、お互い元気で長生きしなきゃと言っています。
5月は私にとって今も母を想う月です。
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