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白梅学園大学小平学・まちづくり研究所主催で「認知症鉄道事故損害賠償裁判」の被告であった高井隆一さんを迎えてシンポジウムが開かれました。
高井さんは愛知県大府市在住、11年前に認知症の父親(当時91歳)を鉄道事故で亡くされた方です。
事故後JR東海から損害賠償金を請求され、裁判となり、一審、二審と高井さんは敗訴。
最高裁に移り、ここで一審、二審を覆して逆転勝訴の判決となりました。
「認知症を初めて真正面から捉えた裁判となった」(山路所長の弁)のです。
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最初にお父さんの日常や事故当日のこと、その後の裁判についてアニメーションで分かりやすく表現した動画がありました。
その後、高井さんが淡々とした口調で語られました。
事故当日まで父を家族総動員で在宅介護していた
高井さんのお父さんは84歳の時認知症を発症。
お母さんと二人暮らしだったため、当時横浜に住んでいた高井さんの妻が介護のため転居し、週末には高井さんも帰り家族総動員でサポートしていた。
「住み慣れた家で」と在宅介護を選び、自宅周りのゴミ拾いや草むしり、植栽への水やりが日課だった。
外歩きする時は、高井さんの妻が後ろからそっと寄り添い、父が途方に暮れた時偶然に会ったふりをして家に連れて帰っていた。
一人で外出しないよう家に施錠したこともあったが、閉じ込めることで父は怒り、自由に父らしく生活させることにしていた。
施錠しないことは虐待防止法に則ったやり方だった。
帽子や衣服には万一の時のため名前と連絡先を縫い付けていた。
しかし、事故当日家族がまどろんだすきに家を出る父を見失ってしまったのだった。
父は最寄りの駅から次の駅まで電車に乗り、駅ホームの端にある柵を開いて線路に立ち入り列車にはねられた。
「ズボンのチャックが開いていたので、トイレを探していたのでは?と思う」と高井さん。
一審と二審で敗訴、最高裁で逆転勝訴
事故から半年後、JR東海から損害賠償金720万円の請求書が届いた。
求めに応じてかかりつけ医の認知症の診断書を提出したが、「日付が事故の半年後で、かつ専門医の作成ではない」などと主張され、提訴された。
家族の監督責任として第一審名古屋地裁では母親と長男高井さんに対して720万円全額支払えとの判決だった。
JR東海側は「なぜ施設に入れなかったのか。なぜ家に施錠しなかったのか」などと認知症に無理解な主張を繰り返した。
「これでは認知症の人を家族は閉じ込めておくしかない。介護に携わった人が責任を負わされる」と控訴。
この頃からメディアや認知症の家族から援軍が増えていった。
第二審名古屋高裁では同居していた母親に360万円支払えとの判決。
これにJR東海は納得せず、直ちに上告した。
2016年最高裁の判決では「基本的に家族は責任を負わない」というこれまでの一審、二審とは正反対の画期的判決、解釈の劇的変更だった。
自宅で安心して介護できる礎となる判決になった。
父の事故死から8年が経過していた。
地域は認知症をどう受け止め対処すべきか?
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高井さんの基調講演の後、小平市の地域包括支援センター長、所長をコメンテーターに、山路所長(写真右端)をコーディネーター・司会にシンポジウムが開かれました。
小平市は認知症の人々の60%以上が在宅だそうです。
在宅か施設か? できる限りその人らしい生活を継続するためには環境を変えないのが第一。
家族が家族としての役割ができなくなった(限界)時は施設へ。
息子が親を介護する家庭が増え、「何でできないんだ」と息子が虐待するケースも見られるそう。
介護は毎日のことであり、自己コントロールできない人は男性介護者に多い。
認知症は特別な病気ではなく、だれもがなる病気。
一人で抱え込まず、地域ぐるみで支えることが大切だ。
小平ではこれまで約5900人が認知症サポーター講座を受講。1万人に増やすことを目標にしている。
認知症の知識はアップしているが、理解するまではまだまだという状況である。
印象に残ったのは高井さんの「徘徊」という言葉の使用について。
「徘徊」の意味は「無目的にぶらつく行為」だが、認知症の人の場合は昔の通勤した道だったり、生まれた場所だったり何らかの意図があることが多い。
だから朝日新聞や大府市は「徘徊」という言葉の不使用宣言をしたとか。
場合に応じて「一人歩き」などの言葉を使っているそうです。
最高裁判決をきっかけに認知症への理解が深まり、大府市は全国初の認知症条例を制定。
また、認知症の人の介護をしている人は「生活記録」を残すことが大切と高井さん。
万が一事故や裁判に巻き込まれた時、重要な証拠となるからだそうです。
「認知症になったとしても長生きできると喜びあえる地域に」コメンテーターの言葉ですが、本当にこうありたいです。
他人事ではなく、自分のこととして認知症を理解し、認知症の人にやさしい地域づくりが住みよい街になるはずです。
団塊の世代が高齢になるにつれ、認知症の人も急激に増えてくるでしょう。
私にとって認知症理解への貴重な機会となりました。
※写真は白梅学園大学小平学・まちづくり研究所から提供していただきました。
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