長井という名は水が集まるところに由来するとか。
市内の至る所に水路が見られます。
江戸時代から最上川の舟運で栄え、上杉米沢藩の玄関口だったそうです。
京都・大阪との交易も盛んで、上方文化も入ってきて富を築いた商家の一つが「丸大扇屋」

300年以上続いた呉服商家の丸大扇屋。2階の格子が美しい。

欄間は商家らしく、縁起のいい宝を透かし彫りに。

黒光りする板の間には当時使われていた道具が置かれています。

当時のお風呂場はこんな風だった

車がついた箪笥など重厚な調度品も数多く展示されています。

庭にあるモミジの木は当主が京都から取り寄せたものと、若いガイドさんが説明してくれました
同じ敷地内で庭の奥には「長沼幸三彫塑館」がありました。

明治41年、この丸大扇屋に生まれた長沼幸三は東京美術学校(現東京芸術大学)を卒業し、
西欧の写実的な近代彫刻ではなく、日本独自のデザインに根ざしたものを追求した芸術家。
この日の展示も「郷土を象る」がテーマで、念仏踊りの連作がズラリと並べられ圧巻でした。
東京からここ長井のお母さんとの往復書簡も展示されていましたが、母親を思う息子の気持ち、親子の情愛に溢れた手紙に心打たれました。
来館者はこの時私一人。係りの方から何度も「ありがとうございました」と言われて恐縮。
こちらこそ気持ちのいい時間を過ごせて「ありがとう」です。
彫塑館の裏をそのまま行くと、明治時代の建築「小桜館」があります。

明治11年に建てられた旧西置賜郡の郡役所

和洋折衷の造り

玄関のファンライト、色ガラスがはめ込まれた扇形の窓

案内してくださったこの館の管理人、「長井愛」に溢れる方でした
小桜館は現在公民館のような機能を持ち、長井市の文化の拠点として市民が利用しています。
「東京からわざわざようこそ」と丁寧に案内してくださいました。
小桜館の歴史を立て板に水のごとく説明してくださる。
「郷土史を研究なさっているんですか」と訊ねると、「い~ぇ、私なんかパートで入って、それから勉強したんですよ」
2階のホールの床は当時のままで、波打っているとのこと。なるほど歩くと平衡感覚が支障をきたすような感じでした。
昔は馬肉を薬として、特に女性の病気に密かに食べていたので、今も馬肉ラーメンとかに残っているとか。
「置賜」という言葉は「日本書紀」に出てくるほど古いものだとか。
興味深いお話がたくさん聞けました。
この方に聞いた、近くの手打ちそば屋で遅い昼食をとることに・・・

百年続くそば屋「かく長」 店前の青い自転車が私が借りたレンタサイクルです。
入った時は私一人でしたが、あとで常連さんらしき人が二人来ました。
ざるそばは上にのりがたっぷり、小皿に揚げの細切り煮物も添えられていました。
別にかき揚げ1個も注文しましたが、丁寧に揚げられていてとても美味しかった。
写真を撮りたかったのですが、斜め前に強面の体格のいいおじさんがいたので遠慮しました(私、気が小さいので)。
長井は自転車で回るにはほどよい広さの街です。
再び道の駅を目指し、最上川を見て帰ることにしました。

滔々と流れる母なる川、最上川

最上川沿いに続くフットパス。千本桜が植えられています。
桜には遅く、白ツツジには早い時期で花はみられませんでしたが、今度はぜひ桜の時期に訪ねたいものです。
また、フラワー長井線に乗り、米沢駅5時42分の新幹線で帰途へ。
たった1泊2日の駆け足旅でしたが、実に多くのことを見聞し、現地の人々の親切に接することができました。
やはり旅はいいものですね。
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