『ほのぼのマイタウン』気まま通信

『ほのぼのマイタウン』のブログ版~見たこと、聞いたこと、伝えたいことを自由に気ままに綴ります。

特別展「古代メキシコ」へ行ってきました

2023-08-15 23:33:40 | 講演会・催し

東京国立博物館平成館で開催中の特別展「古代メキシコ」へ行ってきました。

本当に久しぶりの上野の森です。

夏休み中のせいか、やはり人でいっぱいでした。

 

     

 

迫力あるタペストリーが迎えてくれました。

古代人の鋭い眼に凝視されているようです。

 

紀元前15世紀から後16世紀のスペイン侵攻までの3000年以上にわたり繁栄したメキシコの古代文明。そのうちの「マヤ」「アステカ」「テオティワカン」という代表的な3つの文明に焦点をあてた特別展です。

私はメキシコへは行ったことがなく、ペルーには7年前に行きクスコやマチュピチュなどを巡り、インカ帝国の石像建築には接したことがあるもののマヤ、アステカ、テオティワカンは名前を知っている程度でした。

 

テオティワカン文明

 

メキシコ中央高原に前100年から550年までに栄えた文明。

三大ピラミッド(「太陽」「月」「羽毛の蛇」)を擁する巨大な計画都市だったそうです。

 

死のディスク石彫 300~550年 太陽のピラミッド、太陽の広場出土

 

テオティワカン文明が起こったメソアメリカ(メキシコの大部分と中央アメリカのグァテマラ、ベリーズなど)では日没は死、日の出は再生を意味するとされ、この石彫は西に沈んだ(死んだ)太陽を表すものとされています。

 

火の老神石彫 450~550年 太陽のピラミッド出土

頭の上に火鉢を載せ、火を焚くために用いられた石像。火や太陽に関わる儀式のためのものとみられる。

バックには太陽のピラミッドの巨大なスクリーンが映し出され、現地に行ったような臨場感がありました。

 

鳥形土器 250~550年 テオティワカン、ラ・ベンティージャ出土

 

貝の装飾は湾岸交易の証だそうです。

愛嬌がありますね。(写真がぶれていてすみません!)

 

上から耳飾り、首飾り、ペンダント 300~350年 月のピラミッド、埋葬墓5出土

どれもヒスイ輝石岩でできています。

今のファッションにも合いそうですね。

 

トランペット 150~250年 羽毛の蛇ピラミッド、地下トンネル出土

貝に細工したデザインが素敵です。

 

これは多分香炉だと思うのですが、私はこの意匠に魅かれてしばらく見とれていました。

素朴で何とも言えない可愛いさとユーモアがあります。

身近に置いていたら、日々癒されるでしょうね。

 

マヤ文明

ユカタン半島で紀元前1000年頃から16世紀、主に4世紀~9世紀にかけて繁栄したマヤ文明。

暦や文字、数学も高度でゼロの概念、20進法があり、王や貴族が中心になって都市間の交易、時には戦争を繰り広げました。

この展覧会の目玉、マヤの「赤の女王」(スペイン語で「レイナ・ロハ」)は石室をイメージした部屋で、埋葬時と同様の状態で副葬品が展示されていました。

 

頭部側から見た写真です。

 

頭の上にあるのは赤の女王の頭飾り、その下は冠、マスク、首飾り、胸飾りです。

なぜ赤の女王と言われるかと言うと、1994年碑文の神殿に隣接した13号神殿で発見された時、赤い辰砂(しんしゃ・防腐剤などとして使われる鉱物)に覆われていたからです。

出土状況をNHKの放映がある部屋で見ましたが、本当にすべてが真っ赤でした。

マヤの代表的な都市国家パレンケ黄金時代のパカル王(在位:615~683年)の妃とされています。

メキシコ国内とアメリカ以外では初めての公開だそうです。

見る人たちにも厳かな雰囲気がありました。

 

 

チャクモール像 900~1100年  チチェン・イツァ、ツォンパントリ出土

腹の上に皿状のものを持つ石像。

そこに神への捧げものを置いたという解釈が一般的とか。

 

支配者層の土偶 600~950年 ハイナ出土

大きな口を開けた蛇の冠を被り、壮麗な服を着て、円形の王座か椅子に座っている。

このような豪奢な服装は大きな祭祀の時の装い。

王かそれに次ぐ高位の男性を表した土偶であろう…と横の解説文にありました。

 

アステカ文明

メソアメリカ北部から中央部へやってきたメシーカ人たちが1325年に首都テノチチィトラン(現メキシコシティ)を築きました。

1521年スペインに滅ぼされるまで、軍事力と貢納制を背景に強国を拡大したそうです。

 

鷲の戦士像 1469~86年 テンプロ・マヨール、鷲の家出土

高さ170㎝の等身大精鋭戦士

 

トラロク神の壺  1440~69年 テンプロ・マヨール、埋納石室56出土

トラロクとは豊穣をもたらす雨の神で多くの祈りや供物、生贄が捧げられました。

特に人身供犠はアステカの軍事拡張政策によってさらに正当化されていったのです。

NHKの放映では確か1500人の集団生贄のあとも発見されたとありました。

 

金の耳飾り  1486~1502年 テンプロ・マヨール、埋納石室167出土

ほかにも巻貝形や鈴形、人の心臓形ペンダントが並び、美しい輝きを放っていました。

今なお発掘が続いているそうです。

 

古代メキシコ3つの文明を少し学習し、改めて日本の歴史を振り返り、なぜだか『源氏物語』は1008年にできたのねと思いました。

ヘンですね。

 

 

 

 

 

 

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