泰大と智大へ、
機会があったら一度米国へ行ってみろ、San Franciscoあたりが無難かも。 一週間ホットドッグとハンバーガーだけでも生きていけるし、現在だったらバイト代だけで渡米可能だ。 百聞は一見にしかず、自分の目で見て、身体で感じてみろ。 (学校が休みの時に限る!)
来週江戸へ帰ったら再度靖國神社を参拝して、ゆっくり時間をかけての遊就館を拝観しろ。 おまえと同じ歳に散っていかれた先輩達の勇姿を拝観し、親兄弟宛に送付された手紙を拝読してこい。
オイラがおまえ達の歳の頃の話。
日本が戦争で負けた国はどのようなものか、いままで勉強してきた英語は通じるのか、初めて親元を離れ異国の地で生活出来るのか、憧れのロック・バンドと会えるのか等々、不安と期待で頭の中が真っ白になりながら、手持ちのハード・ケースに「護国尊皇」や「大日本帝国海軍」のステッカーを貼り、日章旗、旭日旗をバッグに詰め込んで、成田空港から米国・加洲・羅府国際空港へ向かって飛んだ18歳の春・・・。
羅府空港税関で、持ってきた模造太刀がチェック対象となり、税関の役人が5人くらい集まってきて模造太刀だと説明するのに大童だった。 太刀を抜いて刀身に刃が無い事を証明したり、持ち込んだ理由を説明したり大変だったが、とりあえず税関をクリアし米国へ入国出来た。 いきなり強制送還では親に会わす顔がない・・・。
そのままサン・ディエゴまで車両で移動。 フリー・ウェイ片道3車線&無料に驚き、ガソリンの安さに驚き、途中立ち寄ったスーパー・マーケットの大きさと食物類の価格の安さに驚き、米国の持つ強大な国力を身体で感じた。 道路を見ると国力がわかる。
数日後、サン・ディエゴ海軍基地に停泊中の航空母艦、巡洋艦、駆逐艦を間近で見て、海軍航空ショーでF-14を筆頭に艦載機A6,A7やP-51,B-17, B-25等の旧式戦闘機や爆撃機を観て、何となく大日本帝国が負けた理由を理解出来た・・・。 全てにおいて物量が違い過ぎ、少数精鋭だけでは勝てない。 戦局で勝っても戦略で負ける・・・。 強烈な精神的ダメージを被ったが、この軍隊に真っ向から戦い抜いた先輩達の偉大さも同時に感じ、日本人として誇らしく思った。 この時初めて日本人としての自覚を持つ。
当時の日本は250円/1ドルの頃で、Sony Walkman発売と共に日本が世界で認識され始めた頃だったが、未だ前の大戦経験者(リタイア)達のように日本を嫌っている米国人が大勢いた。 私も床屋で散髪を拒否されたり、レストランでの冷たい給仕等、様々な人種差別を受けたが、今では良い経験だったと思う。 日系米国人の方々の苦労は相当なものだったはず。
サン・ディエゴにて、まずは外国人が大学入学に必要なTOEFLの点数を取得すべく、英語専門学校へ入校(進学コースと英会話コースの二択)。 進学コース入校試験後、1クラス30名くらいのビギナーからアドバンスドの5段階のクラスのうち、中間レベルのクラスに組み込まれた。
各クラスには日本人、アラブ人、南米人、欧州人、アジア人と世界各国から大勢の生徒が来ていて、自然と同国もしくは同言語同士のグループに別れていく中、私は何故か日本グループではなく南米グループに属していた。 彼等はスペイン語を母国語とする国だったので、プライベートではスペイン語しか話さないから、私も必死でスペイン語を覚えようと努力した。 英語もまともに話せないのだが、スペイン語のほうはスペイン人の8歳年上の彼女に教えてもらいながら、人生経験を積ませて戴いた。 その影響かもしれないが、後年コロンビア人と結婚。(既に離婚済) 外人好きはころ頃から始まったのかもしれない。
日々、初めて目にする物を知り、初めて口にする物を食べ、知らない事を知り、充実した楽しい時間を過ごした。 この英語学校の頃だけでもいろいろと記載不可能な事が多々あったが、ドラッグだけは親父との約束で決してやらなかった。 我一族の御法度である。
大勢いた日本人グループ(英会話コース100名、進学コース20名)の中で親しかったのは、私とは流派が違う剛柔流空手道2段の三木さんと、少林寺拳法3段の栗林さんと、沖縄のカズオさんの3人だけだった。 カズオさん以外、我々3人は武道一筋の硬派(暴れ者)という風評被害により日本人グループから恐れられていたと後日知らされる。 私にはほとんど関係なき事だったが・・・、風評被害とは恐ろしいものだ。
勉強は辛かったが、我々3人同時にグロースモント・カレッジに入学する事が出来た。 同じ頃、英語学校の南米グループの仲間達もそれぞれ他州の学校へ入学したり、帰国したりして離ればなれになってしまった。 悲しい試練の一つだったが、新たな試練の始まりでもあった19歳の夏。 入学が決まり、念願の一時帰国を許される。 あまりの嬉しさに泣いた。
今日は疲れたので、続きはまた後日(覚えていたら)。
それでは、また。 ごきげんよう。
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