北面武士

至誠通天

穏やかな一日

2016-08-14 | 日記

 

八月十四日(日) 晴

先日の不摂生で受けた身体のダメージ回復の為、昨日は赤葡萄酒を1杯飲むだけに留めた。 向後は欲望のまま生ビールを飲む事を控えて、ほろ酔い程度くらいまで楽しもうと心がける。 強靱な精神力を発揮しないと継続不可能だが・・・。  とりあえず、本日の体調はすこぶる良好也!

今日は早朝より洗濯・掃除を行い、ココ壱でビーフカレーを食した後で昔の写真整理を行った。 

過去を振り返りたくはないが、写真を見ていると楽しい思い出ばかりが蘇ってくる。 当時はデジタル写真ではなくフィルム写真だったので、1枚撮影する毎に最大限の集中力を必要とした気がする。 現在では3~5枚に1枚良さそうな写真が撮れていれば、という感覚で撮影しているように思える・・・。 個人的にはデジタル写真の方がデータ保存も簡単だし、品も良くなっているので好きだが、デジタルになってからは自分が映されるのが好きではなくなった・・・。 

本日は昔の写真を何枚かスキャンしたので掲載します。  順不同で適当スキャンしたものを掲載。

フィリピンにて

この当時にフィリピン大地震が発生し、災害地エリアでの厳しい環境下で稼働した経験のおかげで、危機対応能力経験値がレベル88くらいまで上昇。 当方帰国1週間後にピナツボ火山が大爆発、米軍や某国有名金融証券会社は数ヶ月前に既に撤退済であった・・・。

会社の部下であり、個人的な子分達と共に。 2名とは現在でも連絡を取り合っている。

前の大戦時、最悪の激戦地だったバレテ峠まで慰霊へ訪れる。 酒を捧げて合掌・黙祷をしていたら、涙が止めどもなく溢れてきた。 同行のフィリピン人達も何故か落涙していた・・・。

 

地方に行くと軍のキャンプへ挨拶へ訪れ、必ずコルト45とM-16 の射撃をさせてもらっていた。 写真のM-16は個人(非軍人)所有のもので

、この後隣の敷地にて射撃を楽しませてもらった。 

ボントックという山奥にての集合写真。 山奥の大麻を求めて欧米諸国からバックパッカーが訪れていたが、この地はなかなか危険な地域である。 滞在中、私は専用ボディーガードを一人付けていた。 

私が大好きなサンミゲル・ビール! 実に美味い! 東南アジアで一番好きなビールである。

 

大西洋に浮かぶアフリカ人奴隷選別が行われた島・カボ・ベルデ(ケーブ・ベルデ)

現在でもポルトガルで入国査証を取得しなくてはいけない。  現地の人々は外国人との接触も少なく、素直で大人しく、喧嘩しているところを一度も見た事がない。  約束の時間に到着しないので、当方が鍵を破壊したり、ドアを1枚殴って穴を開けて鍵を開けて入室しても怒られなかった。(鍵交換やドア取替えは私の方で実施支払済→私が一日稼働出来ない方が金額も高価だし、スケジュール変更不可状態故)

何処の国でもドアは破壊しているが、通常は会社にクレームが入る。(会社はいつもの事なので詫び状を即発行、私へのお咎め無し)

一部のエリアを外れると電気も水道もガスもない自然環境が過酷な地であり、ホテルでもほぼ毎日同じ食事しか出て来なかったが、ビールと葡萄酒だけはしっかりと飲めたので幸運だった。 

リスボン滞在中、ポルトガル産葡萄酒「バスコ・ダ・ガマ」と干し鱈を戻した料理「バカリャオ」を食すと、戦国時代にインド経由で日本まで来訪したルイス・フロイスやヴァリアーノ達が頭に浮かんでくる。 会ったことはないのだが・・・。

個人で行くには非常に困難な国だが、もし行ける機会があったら是非もう一度訪れたい国だ。 ただ大西洋の偏西風が吹き荒れて、観光名所など何もないのだが、海岸で波を見ているだけで幸福感を味わえる。  断捨離が出来ない私の憧れの地かもしれない・・・。

 

カボ・ベルデから帰国途中、パリにて二泊。  この年にオープンしたユーロ・ディズニーランドを訪れる。 パリから電車で小一時間くらい。

シンデレラ城は石で作られた本物の城に驚き、アトラクションより、カフェを楽しんでいる人が多かった事に驚く。 フランス人はのんびりして大らかで、人生の楽しみ方が欧州でも独特である。

 

エル・サルバドル(中南米)

現地の部下達と、朝は靴や工具箱等にサソリが入ってないかチェックするのが日課。 私のバッグの裏にタランチュラがいたのでガムテープで捕獲。 カブトムシは簡単に捕獲出来るが、尋常じゃないくらい臭いので誰も捕獲しない。

地方の警察には良いも悪いもいろいろとお世話になった。 運転手が事故を起こしたので警察署の留置所へピザを差し入れ、何故か手錠を・・・。

 

地元でフェスティバルがあり、女子高生のグループと仲良しになる。 東洋人が珍しいのかな? 楽しかった~!

地方で長期滞在していた宿の食堂で、おばちゃん一家と共に。

地方に行くと子供達が自然と懐いてくる。 毎日仕事で出る廃材等の廃棄を手伝ってもらい、報酬として飴玉や綿飴を大量に買って、みんなに配布。 

エル・サルバドルも長年内戦で疲弊しており、仮設鉄橋を使用した状態で経済状態も良くなかったが、国民は明るく素直な人々ばかりだった。 イグアナの唐揚げとスープの味が思い出される。

 

エル・サルバドル滞在中、クリスマス休暇で隣国のグアテマラへ小旅行。 マヤ文明で有名なティカルという街へ。

深い森林の中を長時間歩かされ、一気にこの神殿が展開される。 素晴らしい建造物だと思ったが感動はなかった・・・。

 

ベトナム

サイゴン(現ホーチ・ミン)の旧大統領官邸にて。 訪れた時、当時の陥落したニュース映像が頭を過ぎった。

ホーチ・ミンは清貧で慈悲深く、現在でも国民から心から尊敬されている。 某国の権力闘争に明け暮れている小心者や某国の刈り上げデブとは比較にならない。 ベトナム国民が勤勉で愛国心が強いのは、指導者が素晴らしいからではないのか。

戦争博物館を訪れ、展示してあるAKを手に一葉。 チェ・ゲバラのシャツはエル・サルバドルにて購入、ベトナム人に大好評だった。

 

米軍のUH-1、F4ファントムのライバルだったMig-21、ソ連のT-62?戦車。  楽しい博物館だったが、枯葉剤の影響で生まれた奇形児のホルマリン漬けが大量に並べてあったのを見た時は絶句・・・。 地方へ行くと枯葉剤は放置されたままだった。

ベトナム戦争時激戦地だった場所にて、ベトコン・ヘルメットを被り客先と一緒に。

懐かしい思い出が連続して湧き出てくる。 大量に身体を動かして汗を流して、神経を使って冷汗と脂汗をかいて、一つ一つのプロジェクトを遂行していた頃、リゲイン飲んで24時間戦っていた頃が唯々懐かしい。

しかしながら、当時の経験値のおかげで現在がある。 すべては継続の力にて突き進むしかない。

全ての関係者へ感謝致すばかりです。

今回もグダグダな内容ですが、写真だけ見て戴ければ幸甚です。

それでは、また。 ごきげんよう。

コメント
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