大江戸散策徒然噺 Introducing Japanese culture and history

豊かな歴史に彩られた日本の文化と歴史を紹介

江戸川・大雲寺は江戸時代の歌舞伎役者が集い眠る聖地~市村座・中村座の名だたる歌舞伎役者が眠る役者寺~

2012年03月26日 15時11分26秒 | 江戸川区・歴史散策
江戸川の西瑞江にお堂を構える大雲寺の開基は江戸時代、二大将軍秀忠公の御世の元和6年(1620)に浅草森田町(台東区・前蔵前国技館付近)に寺領3000坪を拝領して、寺院を建立したのが始まりです。

大雲寺仁王門

その後、寛文2年(1668)の江戸の大火で本所押上(墨田区業平3丁目)に移転し、江戸時代を通じて押上に堂宇を構えていました。しかし関東大震災で甚大な被害を被り、昭和6年に現在の瑞江に移転してきた歴史をもっています。

そんな歴史をもつ大雲寺は別名「役者寺」と呼ばれているのですが、なんと江戸歌舞伎の三座のうち、市村座と中村座の名だたる歌舞伎役者が眠っているのです。もともと江戸時代を通じて隅田川の流れに近い本所押上にお堂を構えていたわけですから、ご府内にも近く当時芝居小屋があった日本橋堺町からは両国橋を渡ればさほど離れていない場所に大雲寺はあったわけです。

どうして大雲寺が市村座と中村座の歌舞伎役者の檀家寺になったのかはわかりませんが、一つ寺にこれほどの歌舞伎役者が眠っていることに驚きと感動を覚えます。

境内の入口に立派な仁王門を構え、門をくぐるとすぐに鐘楼堂、そして真正面にご本堂が配置されています。

鐘楼堂
本堂

ご本堂の右脇の墓地へ通じる細い道を進むと、目指す歌舞伎役者の墓が一区画にまとまって現れます。

墓地見取り図
左から④③②①
①市村羽左衛門累代墓

① 市村羽左衛門累代墓(初代~17代、残菊物語の2代尾上菊之助、13代=5代尾上菊五郎) 
② 坂東彦三郎累代墓(3代~7代)
③ 3代坂東彦三郎墓 
④ 尾上菊五郎供養碑 
⑤ 寺嶋家門弟一同建立碑
⑥ 寺嶋家門弟代々墓

左から⑪⑩⑨⑧
⑦瀬川菊之丞累代墓

⑦ 瀬川菊之丞累代墓(初代~6代、歌舞伎狂言作者・初代瀬川如皐) 
⑧ 松本幸四郎累代墓(4代~6代) 
⑨ 中村勘三郎累代墓(初代~13代) 
⑩ 3代中村勘三郎 
⑪ 福地家(茶屋、版元) 

一番左が⑫坂東彦三郎墓累代墓

⑫ 坂東彦三郎墓累代墓(初代~2代)

この他にも花火師として有名な「鍵屋」の墓もあります。江戸歌舞伎の歴史を造った名優が一同に会する大雲寺は紛れもなくお江戸の名刹・古刹としての風格を感じます。

大雲寺
住所:江戸川区西瑞江2丁目38番7号
都営新宿線「瑞江駅」北口から徒歩10分(約850メートル)

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