大江戸散策徒然噺 Introducing Japanese culture and history

豊かな歴史に彩られた日本の文化と歴史を紹介

武蔵野国の守り神「大國魂神社」と小さな東照宮~秋色のけやき並と古社の佇まい~

2011年12月01日 16時28分25秒 | 府中市・歴史散策
東照宮詣でに明け暮れた今年一年を振り返りながら、ふと全国の東照宮リストなるものをウェブで眺めていると、東京西部の府中市に鎮座する「大國魂神社」の境内になんと東照宮があるではありませんか。この東照宮がどれほどの規模のものかは定かではなかったのですが、是非お参りをしなければと早速出掛けてみました。

大國魂神社中雀門

大國魂神社が鎮座する府中は京王線の府中駅が最寄の駅です。お洒落な駅ビルを抜けて地上に降り立つと、神社へ通じる見事な「ケヤキ並木」がまず目に入ります。かなりな樹齢を誇る「ケヤキの木」が神社の参道である道の両側に続いています。このケヤキ並木は国の指定天然記念物になっています。全長500mの神社参道に沿って150本のケヤキの木がトンネルのように続きます。

ケヤキ並木

実はこのケヤキの並木については次のような言い伝えが残っています。話は古くなりますが、時は康平5年(1062)の頃、源頼義(みなもとのよりよし)・義家(よしいえ)父子が奥州安倍一族の乱を鎮圧し、その帰途、けやきの苗1,000本を寄進したことに始まるといわれるのが、ここ「馬場大門けやき並木」なのです。そんな言い伝えが残る並木の一画に前述の源義家の像が置かれています。そして鎌倉時代には源頼朝が神社社殿を造営し、天下泰平の祈願所としています。

源義家像

また「馬場大門」という名前の由来ですが、古来より武蔵国は良質の馬を産するとされており、武蔵国府の馬市は権威ある存在だったのです。この国府があった場所が現在の大國魂神社の境内なのですが、そんな情報を知っていた家康公はここ国府の馬市で手に入れた馬のお陰で関ヶ原、大阪冬の陣、夏の陣で勝利を収めることができたことで、その勝利の礼として新たな馬場を寄進し、慶長11(1606)には社殿の造営を行っと伝えられています。そんなことで家康公と大國魂神社とは浅からぬ関係があったのです。

ケヤキ並木を進んでいくと旧甲州街道を挟んで向こう側に2本のケヤキの大木と大國魂神社の石柱そして大鳥居が現れます。

大國魂神社石柱

大鳥居をくぐり更に進んでいくと右手に「ふるさと府中歴史館」が見えてきます。この歴史館が建つ場所にあの大化の改新(645)の年に創設された武蔵国府が置かれていたのです。その場所には国府跡の石碑が立っています。

国府跡石碑

長い参道が終わる頃、前方に改築なった随身門が現れます。実は大國魂神社は今年(2011)は御鎮座壱千九百年の佳節年にあたり、この記念事業として随身門が改築され完成にいたりました。この随身門の手前には古めかしい鼓楼が置かれていますが、この鼓楼は慶長年間に家康公が江戸開幕を祝って本殿の造営とともに建立したものですが、正保3年(1646)の火災で焼失、その後、嘉永7年(1854)再建されたものです。

鼓楼
随身門

真新しい木材の香りが漂う随身門を抜けると鮮やかな朱色を施した中雀門が現れます。この中雀門は明治維新百年を記念して昭和44年に建て替えられたものです。

中雀門

中雀門を抜けると正面にどっしりとした構えの拝殿が置かれています。この拝殿は明治18年に完成したものです。

拝殿

この拝殿の右手奥に目指す「東照宮」が鎮座しています。拝殿と木々が茂る薄暗い場所に鎮座する「東照宮」は一瞬、目を疑うくらいの質素な、目立たない存在の門と社があるだけだったのです。門は唐門とは言いがたいくらいの、なんら装飾や彩色がない地味なものです。門の柱に東照宮と書かれた札が掲げられていることで、かろうじてこれが「東照宮」であることがわかります。

東照宮御社
東照宮御門
東照宮社殿
東照宮社殿

大國魂神社の境内に「東照宮」があるの?という理由ですが、確かに家康公とは浅からぬ関係の当社ですが、実は家康公歿後、駿河の国の久能山から下野の国二荒山に霊輿を遷された時、その途中にここ国府の斎場に一夜逗留をしたことで、元和4年(1618)に二代将軍秀忠公の命により造営されたとのことなのです。

このように家康公の亡骸が日光へと遷される途中に立ち寄った場所はかなりあると思うのですが、
同じ立ち寄った場所でも川越の喜多院の場合は天海僧正のお力ゆえに、それはそれは壮麗な東照宮が造営されているのに比べここ大國魂神社境内の東照宮は足元にも及びません。

日本各地には社殿の傍らに小さな東照宮を祭る神社が数多くあります。その由緒も家康公が鷹狩にこられた場所だから、とか家康公が鷹狩の途中で腰掛けた石があるとか、はたまた家康公が腰を下ろした「ムシロ」を御祭神にしたとか…、さまざまな云われを持つ東照宮があるようです。まあ、それに比べれば、ここ大國魂神社の東照宮はそれなりの由緒があるようなので、家康好きの私としては一応納得した次第です。





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