大江戸散策徒然噺 Introducing Japanese culture and history

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吉原の遊女が眠る浄閑寺~生きては苦界、死しては浄閑寺~

2011年10月15日 19時09分19秒 | 荒川区・歴史散策
かつて桃源郷と呼ばれた吉原遊里からさほど離れていない場所に、吉原遊女と深く関わりのある一つの寺があります。

吉原の入口にある「見返柳」の脇を走る日本堤(土手八町)を三ノ輪方面へ進んでいきましょう。かつて吉原への道として多くの遊客が通った日本堤が行きどまる場所に山門を構えるのが、通称三ノ輪の「投げ込み寺」と呼ばれている浄閑寺です。開基は古く江戸の明暦元年(1655)ですから、新吉原誕生の2年前のことです。創建当時から投げ込み寺と呼ばれていたわけではなく、安政の大地震の時に多くの吉原遊女が投げ込まれたことがその由来となっています。

浄閑寺山門

投げ込み寺とは一般的には宿場町の飯盛女や遊女が無縁仏として埋葬された寺のことを指すのです。もっと残酷な言い方をすれば、身寄りのない遊女たちが亡くなると人目につかないように密かに寺へと運ばれ、寺男が掘った墓穴に投げ込まれ、回向供養を一切行わないことを意味しています。一応過去帖には記されていたようですが、これも「○○売女」「○○遊女」といったもので、死んでまでも売女、遊女呼ばわりされていたのです。

そんな扱いをされながらも、江戸一番の遊里であった吉原で働く遊女たちが来世での平穏な生活を約束された場所、「浄閑寺」に二万五千人もの遊女が葬られています。

山門脇に顔が磨り減った黒ずんだお地蔵様が置かれています。お地蔵様の名は小夜衣(さよぎぬ)と言います。そしてこの小夜衣さんは吉原の遊女で、遊郭の主人に放火の罪をかぶせられ 火炙りにされ亡くなったと伝わっています。山門に入るときから、かなり気持ちが暗くなるお寺なのです。

小夜衣地蔵

山門を抜けると前方に本堂がど~んと構えています。本堂の手前左手に廟域へと通じる門があります。その門をくぐるとすぐ右手に置かれている墓があるのですが、これもまた吉原の遊女の墓です。

浄閑寺本堂
若紫の墓

通常、遊女の墓が単独で置かれることは珍しいのですが、これには訳があるのです。この墓の主は明治時代に吉原の有名な妓楼「角海老楼」の「若紫」という遊妓だったのです。この若紫は5年間の年季明けをあと5日後に控え、年季明けには晴れて所帯を持つことを約束していた男性がいたのでした。しかし彼女には5日後はやってこなかったのです。というのも、偶然登楼した客の凶刃に倒れてしまったのです。若紫に惚れていた客だったのか、トバッチリか理由は判らないのですが、幸せが手の届く所に来ていたのに、その夢もはかなく消えてしまったのです。

22歳という若さで亡くなってしまった若紫を哀れと思い、角海老楼が法名「紫雲清蓮真女」を号し手厚く葬むり単独の墓を建てることにしたのです。墓石の上部には角海老の文字がくっきりと残っています。

角海老の文字

墓域を進み、ご本堂の裏手に回るとすぐに目に飛び込んでくるのが立派な石積みの塔です。これが新吉原総霊塔です。この塔は遊女たちの霊を慰めるために建てられたもので、基壇の中には骨壷が積み重なり異様な雰囲気を漂わせています。霊感の強い方はかなり感じる場所ではないでしょうか。その基壇には「生まれては苦界、死しては浄閑寺」と刻まれた石版が埋め込まれています。

新吉原総霊塔
石版

霊感がそれほど強くない私でも、ここ浄閑寺が醸し出す雰囲気はどうも好きになれません。山門に立った時から、気のせいなのかもしれませんが何やらよどんだような空気を感じてしまいます。

江戸っ子たちの桃源郷「長編・吉原今昔物語」





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2 コメント

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Unknown (北川美有)
2013-07-11 23:00:04
先週の金曜日に私は中学の校外学習で浄閑寺にお邪魔してきました。
私は霊感が強い訳ではありませんが小さい時から霊のような者が乗り移る人で
自分自身は霊を信じていないのですが何かが憑いたようで遊女の墓の前で気分が悪くなり立てなくなりました。その夜も遊女の夢のようなものをみてとても恐ろしかったです。
やはり皆さん感じるものなのですね。
クラスメイトは何も感じなかったと言っていましたが…
今、私は色々と調べて新聞を書いています。
この体験と調べた事をまとめて良い新聞にしたいです。
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Unknown (【ダンディ松】)
2013-07-12 09:06:47
三ノ輪浄閑寺の新吉原総霊塔の前に立つと、哀しい遊女たちの怨念のようなものを感じます。
身寄りのない彼女たちが無縁仏となって、やっと安心して眠る場所を得た場所に思えます。
過ぎ去った歴史の中で、あのような境遇に置かれた女性たちの「無念」を感じる場所です。
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