大江戸散策徒然噺 Introducing Japanese culture and history

豊かな歴史に彩られた日本の文化と歴史を紹介

日ぐらしの里の名刹(日暮里)~雪見の寺・浄光寺に残る元禄の地藏様(江戸六地蔵)~

2011年07月05日 08時25分23秒 | 荒川区・歴史散策
静かな雰囲気を漂わす住宅街がつづく日ぐらしの里を奥へ奥へと進むと前方に木々に覆われたこんもりとした森が現れてきます。うっそうとした木々に覆われ、夏の高い陽射しも透さない森の中には諏訪神社が鎮座しています。

諏訪神社の鳥居と鎮守の杜

この諏訪神社の鳥居が立つ右手に今日のお題「浄光寺」の山門が構えています。神社とお寺が隣り合わせに並立している例は日本中のいたるところで見る事ができます。この浄光寺も江戸時代には前述の諏訪神社の別当寺だったのです。
※別当寺(べっとうじ)とは、神仏習合が許されていた江戸時代以前に、神社に付属して置かれた寺のこと。神前読経など神社の祭祀を仏式で行う者を別当(社僧ともいう)と呼んだことから、別当の居る寺を別当寺と言った。

浄光寺山門

さて浄光寺の山門脇に「六地蔵三番目」の石標がぽつんと立っています。おやっ!ここにも六地蔵が?
すでに当ブログの中で江戸六地蔵についてはご紹介をしているのですが、浄光寺の地藏様は含まれていません。というのもお江戸の六地蔵は元禄時代(五代将軍綱吉公が治めた時代で1688~1704)にできたものと、宝永時代(同じく綱吉公の時代で1704~1711)にできたものがあったんです。

「六地蔵三番目」の石標
浄光寺説明書

ここ浄光寺の六地蔵は元禄時代のもので現存する唯一のものです。そしてお江戸の中で3番目のお地藏様で高さ3メートルの銅製の立像です。流れるような袈裟を羽織ったスラリとした立ち姿。お顔立ちはどこまでも涼やかで慈愛に満ちた優しさが溢れています。伏目がちなまなざしで上から見下ろされると、妙に諭されているような気持になってきます。

江戸六地蔵

また浄光寺は荒川辺八十八ヶ所霊場第8番札所、豊島八十八ヶ所霊場第5番札所となっていることで、立像の左隣には銅造地蔵菩薩坐像が置かれています。

銅造地蔵菩薩坐像

浄光寺にはもう一つ徳川将軍家にまつわるエピソードが伝えられています。時は八代将軍吉宗公の御代。吉宗公が狩の途中に当寺に立ち寄り、座った石が残っていると伝えられています。その石は「将軍御腰掛石」と呼ばれているそうですが、今回は目にする事ができませんでした。吉宗公以来、幕末まで当寺は将軍の御膳所となったと伝えられています。(将軍腰掛石はご本堂の裏に置かれています。)

ここ浄光寺は日ぐらしの里の高台に位置しています。寺の東側は崖になって、その昔はこの高台から眺める景色は江戸の名所になっていたようです。ご存知のように吉宗公は庶民の愉しみのために飛鳥山に花見の桜を植えたといわれるほど、お江戸の名所にはかなり興味をもっていたのではないかと想像します。
そんな吉宗公であれば、季節毎に美しい草花が咲き誇る「日ぐらしの里」の噂は耳にしていたか、家臣からきいていたのではないでしょうか。特にここ諏訪台からみる冬の雪景色は江戸の中でも最も美しいものとされ、このため浄光寺は別名「雪見寺」と呼ばれる由縁なのです。

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