大江戸散策徒然噺 Introducing Japanese culture and history

豊かな歴史に彩られた日本の文化と歴史を紹介

日ぐらしの里に静かに佇む古刹を訪ねて~木々の緑に赤く映える養福寺の仁王門~

2011年07月01日 23時01分08秒 | 荒川区・歴史散策
詩的な響きが耳に心地よい「日ぐらしの里」は東京のどこにあるのでしょうか?
実は「ひぐらし」を漢字にすると「日暮」そして「里」を付けると「日暮里」となるのです。そう言われればうなずけるのではないでしょうか。しかし家康公が江戸に入府する以前、すなわち小田原北条氏が関八州を治めていた頃は「日暮里」ではなく「新堀」と読まれていたそうです。

江戸時代初期から中期にかけて日暮里(新堀)の丘陵地に寺院の移転が進められましたが、各寺院は競って境内の庭園を造り雪見寺(淨光寺)、花見寺(妙降寺、修正寺、青雲寺)月見寺(本行寺)と称され丘陵はさながら一大庭園のような名勝となり、いつとはなしに新堀に「日・暮・里」の字を当て「日ぐらしの里」と呼ばれるようになったというのです。

かつての「日ぐらしの里」は台東区と境を接する現在の荒川区の西日暮里界隈で山の手線の内側にあたるところです。ちょうどJR日暮里駅から谷中銀座へ向かう道筋の右側一帯と考えてください。

これまで台東区側の谷中の寺社巡りを愉しんできたのですが、ここ日ぐらしの里にも歴史に彩られた古刹・名刹がひしめきあい見どころたっぷりの隠れ里だったのです。

養福寺門柱

そんな里で最初に立ち寄った古刹が真言宗豊山派の養福寺です。いまでも静かな佇まいを見せる住宅街の中にひときわ木々の緑に覆われた境内が道路から見える当寺には、その木々の緑に鮮やかに映える赤い仁王門が参道の奥に構えています。江戸時代にはここ日ぐらしの里を訪れた多くの文人が養福寺にその足跡を残したといいます。そのためか境内にはさまざまな句碑が残されています。

仁王門

開基が元和6年(1620)といいますから二代将軍秀忠公の時代です。現在の伽藍はご本堂、鐘楼、仁王門のみですが、境内に入ると梅雨晴れの暑い陽射しがわずかな木漏れ日となるくらいに豊かな緑に覆われています。

鐘楼
ご本堂

現在の本堂、鐘楼は再建されたもので、唯一に仁王門だけが宝永年間の建立で、祀られている仁王像は胎内奉納銘札により宝永5年(1701)の造立で運慶作と言われています。仁王門は昭和63年に荒川区の指定文化財に認定されています。仁天門の表側には2体の仁王像、門の裏側に回ると広目天と多聞天の像が安置されています。

仁王像(左側)
仁王像(右側)
 

境内の木立の下に置かれた縁台に腰を掛け、木々の梢を揺らす風越しに鐘楼や仁王門を眺めながら「日ぐらしの里」のひとときを愉しみました。



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日ぐらしの里の名刹(日暮里)~雪見の寺・浄光寺に残る元禄の地藏様(江戸六地蔵)~





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