以下はきのう(4/2)の神戸新聞のコラムからです。
こんな、エピソードをいっぱい読みたいものです。
人はやさしくなります。
紹介しておきます
碧川かた(1872~1962)のこと
夕焼小焼の赤とんぼ 負われて見たのは、いつの日か・・・
たつの市出身の詩人三木露風の童謡を口ずさみながら激動期を駆け抜けた社会運動家がいる。
碧川(みどりかわ)かた(1872~1962)。
戦前に禁酒運動や婦人参政権運動に打ち込んだことで知られるが、露風の母と言った方が通りがよい。
龍野の名家に嫁いだかたは、身持ちの悪い夫と離縁し5歳の長男露風を置いて鳥取の実家に戻る。
その後、自立を求めて上京し看護婦になった。再婚相手は社会正義の論陣を張ったジャーナリスト碧川企救男(きくお)である。
進歩的な夫の影響で弱者救済と社会変革に目覚めたかたは、不条理を正すべく体を張って訴え続けた。
多忙な日々にあって愛息の作った詩を愛唱するのが慰めだったのだろう。
先ごろ、その生涯を描いた創作劇「赤とんぼよ 永遠に」がたつの市で初上演された。
母と子の離別と追慕、故郷への思・・・。
時代に翻弄(ほんろう)されながらも強く生き抜いた2人の絆が、情感たっぷりに描かれる。
かたが息を引き取った日の夜、露風は朝まで添い寝をしたという。
「赤とんぼの母 此處(ここ)に眠る」。東京にある墓碑は、露風の文字でこう刻まれている。(以下略)(no158)
*写真:碧川かた(左から二人目)