野口町をゆく(88) 大庫源次郎物語(15) 大砲の弾丸づくり・・・
夜学をやめて、そのぶんだけ残業を続けて給金を稼ぎ、少しでも多く家へ送金することにしましたが。
砲兵工廠に2年いて、賃金がいいといわれる大阪の兵器製造会社、マツダ製作所にかわりました。
ここはロシアの砲弾を作っている工場で、大戦も終盤にきて注文が殺到、寝る暇もないほどでした。
そんな中でも、源次郎は、時間があれば工業講義録を読む、つつましやかな生活でした。
鉄のことしか知らぬ
時々、高砂へ帰りました。
「源次郎、まあ立派になって・・」めっきり白髪のふえた母とめは、成人した彼の手をとって、涙を流しました。
父の与茂蔵も、日焼けした顔をほころばせて、息子の帰郷を喜こびました。
「田んぼも昔のままやなあ・・・」
源次郎は、大阪の薄汚れた工場街の灰色の空にくらべて、故郷の澄み切った夏の青空を見上げ、播州のよさをしみじみと感じるのでした。
「乞食しても頭になれよ」と繰り返していた父の顔にめっきりシワがふえ、何となく年寄りじみてきました。
「源ちゃんが帰ってきたんやて・・・・」話を聞いて、幼な友だちが、次々に訪れてきました。
もうみんな徴兵検査すませた若者たちばかりで、もう嫁をとって、子供のできた連中もいます。
彼の歓迎会と、クラスの同窓会を兼ねて、仲のよかった連中が、加古川の料理屋へ集まりました。
仲居の三味線に合わせて、小唄の一ふしを渋いのどで聞せる、いっぱしの商人もいます。
でも、源次郎は飲めません。歌も歌えません。
やがて、クラス会は少し白けて、お開きになりました。
加古川から荒井村まで、一里の道を源次郎は一人で歩いて帰りました。
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