野口町をゆく(87) 大庫源次郎物語(14) 向学心に燃えて
旋盤を動かす程度の知識では、ドイツ・クルップ社やイギリス・シーメンス社製の高級な工作機械を操作することはできません。
経験と勘だけで覚えた技術は、役立たちません。源次郎は、機械のことを一から勉強する必要があると痛感しました。
「何か機械のことを勉強したいんやけど、働きながら行ける学校はないやろか」と、ある日、同僚に聞いてみました。
「あほくさ。職人が、何でいまさら学校に行かなならんのや。わいらは、腕一本で月、何10円も稼ぐんやで。学校へ行く暇があったら、工場で儲けな損や」
でも、側にいた年長の職工は、「こないな戦争景気も、そう長くはないわい。学校で基礎からしっかり勉強して腕のええ職工にならんと、もうすぐ首切りの時代がきて、皆おしまいやで・・・」
源次郎は、この言葉を聞いて決心しました。
◇手放さぬ講義録◇
こうして当時、福島にあった関西商工学校に入学した源次郎は、歯を食いしばって勉強しました。
学校と薄暗い電灯の下、機械や製図を、年下の少年たちといっしょに学びました。
夜学から帰ると、下宿の三畳間のフトンにもぐり込んで、夜中の2時、3時まで勉強です。
長い丁稚奉公に慣れてきた源次郎にとって、英語や化学方程式、物理用語の並んでいる分厚い工業講義録は、難解でした。
工業講義録の表紙が、ボロボロになってきたころ、源次郎は同じ福島にある関西英学校に興味を覚えました。
この英語を教える夜学にも入学しました。
工廠の機械にも全部横文字の説明書がついているし、機械専門書にも、英語が出てきます。
やがて、英学校での英語の勉強は、挫折する時がきました。
長兄が兵隊に取られ、働き手を失った播州の家は、彼の送金が必要になってきたのです。
英語の夜学はやめ、残業して給金を稼ぐことにしました。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます