ひろかずのブログ・2

79歳のおじいさんです。散歩したこと、読んだこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、腹が立ったこと等々何でも書いてみます。

野口町をゆく(67) 正面金剛の像を刻んだ石像

2022-08-04 07:15:56 | 加古川市歴史探訪・野口町編

 

     野口町をゆく(67) 正面金剛の像を刻んだ石像

 庚申信仰があったことをしめす青面金剛(しょうめんこんごう)と刻んだ石塔がたくさん残されています。

 土地のお年寄りは、青面金剛を「コウシンさん・・・・」と呼んでおられます。

 加古川でも庚申信仰の跡を見つけることができます。

 しかし、江戸時代、ずいぶん盛んであった庚申信仰(こうしんしんこう)も現在では、すっかりその姿を消しました。



 庚申信仰は、平安時代に中国から日本に伝わり、一般民衆の信仰になったのは、室町時代のことで、特に、江戸時代に盛んに行われた信仰です。

 「コウシンさん」は、庚申の夜(六十日に一回)、人体に住むというサンシチュウという虫が、人の寝ている間に天に昇り、天上の神にその人の罪を告げに行くといい、そのため、庚申の夜は寝ずに、当番の家に集まり、庚申像を拝んだり、村の庚申さんにお参りに行くという行事です。

いつしか、この行事は人々が集まって、一晩中酒を酌み交わし、演芸を楽しむ行事のようににもなりました。

 庚申信仰が盛んであったことを示す青面金剛の石塔が残っていますが、「青面金剛」の文字を刻んだ石塔がほとんどで、正面金剛の像を刻んだ石像はこの地方では、ほとんど見ることはできません。

 加古川市・高砂市・明石市の範囲に限ってみても、青面金剛像(写真)を刻んだ石像は、野口町北野の稲荷神社にみられる一基だけです。

 その北野の稲荷神社ですが、分かりにくい場所にあります。北野地区を北へ抜けるとバイパスの穴門(バイパスを横切るトンネル)につきあたります。そこから道は北へ比較的広い道路・北野線が伸びています。

 その穴門をくぐって、バイパスに沿って東へ20㍍ぐらいのところに稲荷神社があります。車では見落としてしまいそうな小さな稲荷社です。歩いてお出かけください。

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