志方町をゆく(140) 横大路(15) 秀吉の「鐘かけの松」◇
志方町横大路の妙正寺には、かつて樹齢500年以上と推定される見事な松がありました。
その松は山門を入って左の塀の側でした。近隣の自慢の松でした。
幹の高さは五間程で、太さは大人4人が手をつないでやっととどき、技は四方に張り出し、あたかも唐傘を拡げた格好から「傘松」とも呼ばれていました。
村の子どもたちは、大きな枝に荒縄を懸け、ブラシコをしてよく遊んだそうです。
秀吉公「鐘かけの松」と鐘かけ松で作ったひ火鉢
一説では、天正年間 (約400年前)羽柴秀吉が志方城(志方町観音寺の場所にあった)を攻めた時に、この地に陣をおき、陣太鼓をつるして軍を叱咤したと伝えられ、別名、鐘懸松または、釣鐘松と呼ばれていました。
史実は、志方城攻めに秀吉・官兵衛は加わっておらず、この戦いの大将は信長の長男・信忠です。
ですが、庶民は志方攻めを秀吉として語り継いでいます。
妙正寺の松は、天下の名樹としてその名に恥じない風格の古松でしたが、昭和22年8月、瀬戸内海一帯にまんえんした害虫(松喰虫)のため予防効果もなく枯れてしまいました。
ずいぶん前ですが、妙正寺を取材をさせていただいた時でした。
その時、本堂の隅にみごとな火鉢を見つけました。住職にお聞きすると、「松の大木(鐘懸松)で造った火鉢です」と話してくださいました。
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