尾上町をゆく(44) JR高砂線
私の小学校時代(加古川小学校)は、昭和20年代の最後の頃です。
その頃、夏には学校から高砂の浜へ海水浴に出かけました。
高砂線は、子供の声であふれかえっていました。
私にとって高砂線は、浜に続く思い出がつまった鉄道でした。
高砂は戦前から多くの工場が進出し、高砂線はお客だけでなく、貨物も大いに利用されていました。
高砂線は、大正3年播州鉄道高砂線として開通しましたが、経営難のため大正9年に播丹鉄道に譲渡され、さらに昭和18年、国鉄に買収されました。
昭和36年頃から、海岸は埋め立てられ、海水浴場はなくなりました。
そして、急速なモータリゼーションによりアッという間に貨物・乗客とも急減し、その後、膨大な赤字が重なり、高砂線は昭和59年10月30日廃止になりました。
線路跡の大部分は、道路(鶴林新道)として利用されています。
加古川東岸の養田(加古川市尾上町養田)の山陽線と平行している場所に、線路跡が一部そのまま残っています。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます