八幡町をゆく(13) 銅鐸のみつかった古墳(望塚)
まず、東沢1号墳を地図で確認ください。
東沢1号墳は望塚(ぼんづか)があった水田の下から新たにみつかった古墳です。
東沢1号墳は、5世紀前半に造られた古墳であることが明らかになりました。
古墳の斜面には、葺石(ふきいし)が比較的良好に残存するとともに、古墳の周りを囲む周溝内からはたくさんの埴輪(はにわ)や土器が出土しています。
この他、弥生時代(約1800年前)の竪穴住居跡もみつかっています。
少し説明を加えます。
上記の説明文の「東沢1号墳は、望塚(ぼんづか)があった水田の下から新たに見つかった古墳です。
望塚は、加古川市内で唯一の銅鐸が発見された塚です。
銅鐸は、弥生時代の青銅器です。
東沢1号墳は、もちろん古墳時代の塚です。
歴史は、弥生時代から古墳時代へと移行します。
とすると、少しおかしなことになります。
新しい古墳時代の遺跡の上に、古い弥生時代の望塚があったことになるのです。
『加古川市史(第一巻)』で、望塚についての記述を読んでみます。
「・・・(望塚の)銅鐸の出土した年代については諸説があり、一致しない。
大正二年、同三、四年、同七年、同十三、四年の五つの説がある。・・・・銅鐸出土に関しては、こうした基本的なことさえわからにことが多いのである・・・」
塚に大正十四年八月、末沢隆次建立」の文字がありますが、何らかの理由で当時すでに発見場所もはっきりしなくなっていたようです。
そして、場所の確定のないまま、「この辺にしておこう」と土盛りをして望塚としたのが真相に近いようです。
東播磨南北道路が望塚の上を通過することになり、遺跡の調査が行われて、このことが確かめられた。
現在、望塚発見場所は少し東へ移動しています。写真は、新しい望塚。
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