尾上町をゆく(54) 尾上の松林
田山花袋の「播磨名所」に、次のような記述があります。一部を紹介ます。
・・・高砂尾上とは丸で別々になってしまったが、昔は確かに一村落であったに相違ない。
そして、今の尾上にやゝその面影を残しているやうな松林がこの海岸一面に連なりわたって居て、松の影は松の影と相重なり、波の音は波の音と相雑(あいまじ)って、他に見ることの出来ないやうな荒涼寂莫たる趣を呈していたに違いない・・・・
浜ノ宮中学校から浜の宮神社(加古川市尾上町口里)にかけての松林は、神社の境内地として保護され、明治維新以後は、官有林に編入され同神社や氏子によって維持されてきたました。
満州事変以来、この松林には陸軍病院、航空整備隊、さらに陸軍航空通信学校尾上教育隊が開設されるなど、多くの松は切り倒されました。
さらにその後、多くの松が松くい虫にやられました。
松林の風景は大きく変わってしまいました。
しかし、この松林は、播磨風土記に見える「賀古(かこ)の松原」の面影を今に伝えているようです。
むかし、この松林はうっそうとしており、不気味なほどであったといいます。そのためか、松林には、いろいろな話が伝えられています。
次号では、その一つを紹介しましょう。
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