別府町をゆく(106) 別府町新野辺(32)
浜ノ宮神社の伝承(2) 浜ノ宮天神社・元宮は十五社大神社
九州の大宰府に流された菅原遣真は、延喜3年(903)、失意のうちに大宰府で亡くなりました。59歳の人生でした。
道真の死後、京都では天変地異がしきりに起きました。
旱天・流星・大地震、そして疫病などが続き、貴族たちは道真の怨霊が京の空に舞い戻って来たのではないかと噂し、ひどく動揺しました。
このため、朝廷は神社を建立して道真の霊を慰めようとしました。
浜ノ宮天神社の元宮は十五社大神社
それを伝え聞いた里入たちは、ゆかりの「十五社の境内」に天満宮をまつり、道真をお祀りしました。
その後、室町時代に、十五社の神主の夢枕に神様が現われ「昔、筑紫に下るとき、尾上の東の松林の中にしばし休息したが、この地に私のお宮を建てよ・・・・」と。
神主は、たちまち夢からさめました。
そこで、さっそく浜の松林に出かけて見ると、松の木がうっそうと生い茂った中に、夢の中と同じ風景の場所がありました。
神主は、これは天満天神のご威光であって、たいへんありがたいことだと思い、宮殿を造営し、文安元年(1444)8月31、十五社の宮より神様を新殿に移しました。
これより、この浜の松林の中にある宮を浜ノ宮天神社と称することになりました。
*写真:浜ノ宮神社境内 (完)
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