ひろかずのブログ・2

79歳のおじいさんです。散歩したこと、読んだこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、腹が立ったこと等々何でも書いてみます。

平岡町をゆく(28) 新在家の五輪塔

2024-07-19 08:39:32 | 加古川市の歴史・平岡町編

     平岡町をゆく(28) 新在家の五輪塔

 教信寺(加古川市野口町)から西国街道(旧山陽道)に沿って東に行くとサティーに突き当たり、道はいったん消えます。

 そして、道は再び東に続きます。

 その道が始まるところ(サティーの東)の北側の地蔵堂に大型の五輪塔(写真)があります。

 西国街道(旧山陽道)は、サティーが出来る前に「日本製麻工場」がここに進出したが、この時に分断されました。

 この五輪塔は、古くからよく知られていたようで、江戸時代の観光書『播州名所巡覧図絵』にも紹介されています。

 境内整備のため数メートル東に移動された。その際、向も変えらました。

 銘はないのですが、岩本恒美氏(故人)は『加古川市の文化財』で「火輪が横に対して高いから室町時代中期をくだらない頃の作であろう」と指摘されています。

 サティーに立ち寄った時に、少し足を伸ばして見学ください。

 なお、江戸時代、この五輪塔の前の西国街道(旧山陽道)は、西は長崎に通じ、東は神戸の元町センター街から大丸のある交差点に出て、さらに京都(東寺)・江戸に通じた大動脈であった。

 多くの大名行列もこの道を利用しています。伊能忠敬もシーボルトも通った道です。





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