尾上町をゆく(52) 陸軍航空通信隊尾上教育隊(2)<軍航空通信学校・尾上教育隊の配置図>
軍航空通信学校の一部は戦後、戦後浜ノ宮中学校校舎として利用されました。
戦史研究家・上谷昭夫氏が「陸軍航空通信学校・尾上教育隊の配置図」を掲載されています。お借りします。
終戦後の一時期、加古川飛行場を管理した連合国占領軍が、兵舎として利用したこともあり、また、兵舎の一部は浜ノ宮中学校としても利用されました。
現在、この教育隊のあとに次のような説明があります。
教育隊跡地の説明
「当公園内には、戦前、旧陸軍(大阪陸軍航空通信学校尾上教育隊)の兵舎が建設され、約1,500人の隊員が駐留していました。
戦後まもなく建物は取り壊されましたが、最近まで数多くの基礎石が存在していました。
ここにあの不幸な歴史を二度と繰り返さないことを誓い、基礎石の一部を保存し、後世に伝えることにしました」
加古川第一陸軍病院
なお、上記の図の左端(西端)病院があります、説明をしておきます。
この病院は、昭和12年(1937)に加古川飛行場に付属する「加古川陸軍病院」として開設されました。
診療は、内科・外科・眼科があり、歯科は姫路陸軍病院へ行かねばなりませんでした。
昭和16年に、神野兵舎付属の陸軍病院(現:甲南加古川病院」)が開設されたので、名称を「加古川第一陸軍病院」と改めました。
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