ダイエーの中内さんがお亡くなりになった。戦後、彗星のように流通の革命児としてのし上がってきた頃がまぶしい。
私が大学を卒業する昭和46年ころも、すごく輝いていた。売上高で、王者三越を抜いて日本一になったころではなかったか?問屋無用論を唱える・まさに流通革命児だった。
だから問屋という業種そのもの将来に疑問を感じていた私は、ダイエーの就職試験を受けに行ったんだったなー。最終面接で落ちたけれど、大阪往復の旅費は出るし、伸びている企業の勢いが感じられたなーーと思い出す。
戦後、一薬局「主婦の店ダイエー」としてスタートして、流通業頂点まで上り詰めたすごい男だ。以前、つぶれたヤオハンの社員にも聞いたんだけど、当時は、消費者からの感謝の手紙が毎日たくさん届いたそうだ。「安く売ってくれてありがとう!!生活が助かる。」と。
いまや、名古屋のど真ん中、栄えのダイエーも、まもなく閉鎖してしまう。
だけどダイエーにしろ、マツモトキヨシにしろ、浜松のK薬局にしても、静岡の100店舗以上あるT薬局にしても、創業者のパワー・胆力は並外れている。
とにかく、周囲の抵抗が並みではないんだ。少しでも薬局で安く売れば、薬剤師会除名、問屋も周りの店の圧力で納品もしてくれなくなる。
T薬局の副社長は、当時を思い出して、リックサック背負って、神田まで仕入れに毎週行っていたという。普通の神経ではまいってしまう、周囲の抵抗・妨害に打ち勝って、信念を貫き通したお店だけが、いま、栄えてきている。
ただ、不断の経営改革・経営革新を実行できないと、現在のダイエー、過去のヤオハンのようになってしまうが・・・・・。
中内さんも、既存のしくみ、商慣習、既得権尊重を打ち破っていったという点では、圧倒的に功の部分が勝ると思う。
小泉さんも、抵抗勢力を打ち破っていく、中内さんの実行力にもっともっと学んで欲しい。抵抗勢力の反発・いやがらせは酷いのだから、それを孤独にさいなまれながらやり切ることができるかに将来がかかって来るのだから。
とにかく、中内さんのご冥福をお祈り致します。
私が大学を卒業する昭和46年ころも、すごく輝いていた。売上高で、王者三越を抜いて日本一になったころではなかったか?問屋無用論を唱える・まさに流通革命児だった。
だから問屋という業種そのもの将来に疑問を感じていた私は、ダイエーの就職試験を受けに行ったんだったなー。最終面接で落ちたけれど、大阪往復の旅費は出るし、伸びている企業の勢いが感じられたなーーと思い出す。
戦後、一薬局「主婦の店ダイエー」としてスタートして、流通業頂点まで上り詰めたすごい男だ。以前、つぶれたヤオハンの社員にも聞いたんだけど、当時は、消費者からの感謝の手紙が毎日たくさん届いたそうだ。「安く売ってくれてありがとう!!生活が助かる。」と。
いまや、名古屋のど真ん中、栄えのダイエーも、まもなく閉鎖してしまう。
だけどダイエーにしろ、マツモトキヨシにしろ、浜松のK薬局にしても、静岡の100店舗以上あるT薬局にしても、創業者のパワー・胆力は並外れている。
とにかく、周囲の抵抗が並みではないんだ。少しでも薬局で安く売れば、薬剤師会除名、問屋も周りの店の圧力で納品もしてくれなくなる。
T薬局の副社長は、当時を思い出して、リックサック背負って、神田まで仕入れに毎週行っていたという。普通の神経ではまいってしまう、周囲の抵抗・妨害に打ち勝って、信念を貫き通したお店だけが、いま、栄えてきている。
ただ、不断の経営改革・経営革新を実行できないと、現在のダイエー、過去のヤオハンのようになってしまうが・・・・・。
中内さんも、既存のしくみ、商慣習、既得権尊重を打ち破っていったという点では、圧倒的に功の部分が勝ると思う。
小泉さんも、抵抗勢力を打ち破っていく、中内さんの実行力にもっともっと学んで欲しい。抵抗勢力の反発・いやがらせは酷いのだから、それを孤独にさいなまれながらやり切ることができるかに将来がかかって来るのだから。
とにかく、中内さんのご冥福をお祈り致します。