水の巡礼角川書店このアイテムの詳細を見る |
10章に渡り、作者が聖地と感じている場所への、紀行文・旅行記になっています。奈良の天河弁財天から屋久島・熊本、白水村の水源・渋谷の地下に流れている水までが紹介されます。
ランディさんが処女作「コンセント」を生み出す時、出版後のスランプに陥った時、それぞれの課題を抱えているときに、訪れた土地です。
最終10章の「出雲大社」も印象的でした。
10年以上前に、出雲大社は参拝したことがありますが、横綱が100本以上束になったような本殿のしめ縄には圧倒されました。当時は松江の「本陣」に寄って、鴨鍋を堪能したくらいで、日本のルーツを感じることなど、とうていできませんでした。
出雲大社は、因幡の白兎で有名な・大国主命(オオクニヌシノミコト)別名大黒様を祀ってあります。大国主命が祀られたのは平安時代で、それ以前は、素箋鳴尊(スサノウノミコト)を祀っていたそうです。天照大神(アマテラスオオカミ)の弟にあたりますが、手のつけられない暴れん坊で、後に、この地に封印されてしまったと伝えられます。この暴れん坊と結婚したのが、櫛稲田姫で、生まれたのが大国主命という血縁関係になっています。
筆者の田口ランディさん「私は自分のこと以外何も書けていない。人間についても、魂についても、暴力についても、愛についても、何も書けていない・・。」195ページ、と壁にぶつかり、行き詰まり、出雲を訪れます。
その状態が、リセットされバージョンアップしていくさまが面白く描かれています。
「とりあえず呑み込んでみる主義・評価は最後でいい。まずは受け入れてみる・そして自分で考えること・呑み込めなければ吐き出せばいいのだ!」220ページ、というランディさんの姿勢にも因りますが、本殿の奥にある、素箋社(ソガノヤシロ)というところで、「思い」が、ランディさんが思ったのではなくて「思い」の方が勝手に入り込んできたと感じたと書いてあります。
「楽しめ」と「思い」は言ったんだと!「楽しむ」ということは「輝く」とか「実感する」・「知る」という言葉に置き換えてもいいかもしれないと!
幸福(ハッピー)とはすこし違う、辛いことも・苦しいことも、なにもかもひっくるめて楽しむってことだ・「何を深刻に考えていたんだろう。命があるのにたのしまなくてどうするというのだ。そしたら、急に世界が明るくなったように感じた。なんだか笑いたくなってきた。なにがあっても私は死ぬまで生きるんだ。その意味は自分の外側にはない。自分の内側にしかない。自分が感じること以外の答えはない。」245ページ、と恢復の、霧が晴れていくような様子が興味深いです。
「ここに封印された出雲民族の女性原理は、荒っぽくて攻撃的な男性の力を吸収して、別の力に転換するような力あるような気がします。それは鎮魂という意味でのなく、うまく生かす力のような気がします。素箋鳴尊を手なずけた櫛稲田姫のようにね。」と、ランディさんに同行したMさんは言います。
ランディさんを出雲に呼んだのは素箋鳴尊の妻である櫛稲田姫だったのだと。
ランディさんが「その人は、どういう女性なんですか?」という質問に「うーーん、どんな男も受け入れてどんどん混血にして世界を平定する、オマンコの神様みたいなもんだな。あんたはそれに似ている。」と言われちゃう!!
ハハハ! この大社本殿裏の、社で、ランディさんは、リセットされて、OSが復活してきます。
もう一度・出雲大社に参拝したくなってしまいました。