たむたむの独り言

写真を中心にした情報です。

信濃川上流域の集中豪雨にもかかわらず、2つの分水路のおかげで河口の新潟市は救われている。

2011-07-30 08:52:39 | Weblog

2011年7月30日(土)、新潟県では28日から降り始めた雨が、県内各地で集中豪雨となって今日もまだ降り続いている。 この雨水はほとんど信濃川と阿賀野川に集められる。 この2つの大河が日本海に注ぐ河口部に新潟市は位置している。 今朝早く信濃川の支流である五十嵐川が決壊し、三条市では全世帯に避難勧告が出されている。  信濃川の上流部の十日町や津南、魚沼地方も時間100ミリ前後のすさまじい豪雨となっている。 昔なら新潟平野は完全に水没しているはずだ。 しかし、大河津分水と関屋分水という2つの分水路が新潟市中心部に大量の水が押し寄せる前に、このバイパスを通してほとんどを海に流してくれている。 お陰で新潟市中心部は信濃川の氾濫による洪水から救われている。

〈いつもはほとんど閉まったままになっている関屋分水の河口ゲートも、今日はすべてが開いて海に信濃川の水を流している。〉

〈関屋分水から放流された濁流が日本海に流れて、はっきりとした水色の差ができている。〉

〈萬代橋付近は、流れは濁流になっているが、水かさは思ったほど上昇していない。〉

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新潟市文化財センター竣工式

2011-07-29 16:38:16 | Weblog

2011年7月29日(金)、新潟市の埋蔵文化財を中心に収集・研究・保存・展示を行う新潟市文化財センターが、新しく西区木場(旧黒埼町)に本日完成し竣工式を迎えた。   この施設の全体計画の策定と敷地内に復元された市指定文化財武田家住宅の調査と復元設計を当社が担当したことから竣工式に招待された。

竣工式終了後、館長から施設内を案内していただいた。 最近は自治体も財政難で新しい公共施設の建設が激減する中、新潟市の大型合併に伴う建設計画に上がっていたこともあるが、最近では数少ない公共施設の完成である。 これまでの埋蔵文化財センターは廃校を利用した仮設のような施設だったが、これで政令市としてやっとまともな施設となった。 武田家住宅は築300年近く経った歴史的建造物である。 新潟の低湿地に建っていた特徴が、床高を上げた中2階の「寝間」と呼ばれる小部屋があることなどに表れている。 木材もクリやヒバなど腐りにくい材が使われている。

〈新潟市文化財センターの本館〉

〈館内の展示施設〉

〈よくあるパターンの土器の展示〉

〈研究室の説明をする館長〉

〈18世紀前半に建てられた市指定文化財の武田家住宅の復元〉

〈建物内部の様子〉

〈どこかなつかしい感じがするたたずまい。〉

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アッという間に道路が川に!

2011-07-28 18:54:04 | Weblog

2011年7月28日(木)、未明から雨が降ったりやんだりしていたが、昼ごろには激しい雷雨となり、1時間以上連続したの集中豪雨となった。 会社の脇の農業用水が氾濫し、道路は完全に水没してしまった。2階の非常階段に出て様子を見ていると、水没した道路を自転車で走って行く人がいた。 路面は全く見えない状態なので危険である。 近所に来た人の車なのか路上に駐車したままになっているが、もう少し降り続くと流されるかも知れない。

 この調子だと海抜0m地帯の多い新潟市は、あちこちで浸水騒ぎが起きているに違いない。

 

 

 

〈川となった道路を行く自転車。午後1時すぎて少し小降りとなる。〉

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愛子の「もやしラーメン」と白い森の「栃の実そば」

2011-07-22 17:42:15 | Weblog

2011年7月22日(金)、山形県の小国町に打ち合わせに出かける。 午後からの打ち合わせだったので、久しぶりに役場の近くにある「愛子」の「もやしラーメン」を食べに行くことにする。 しばらく小国町の仕事をしていなかったので、「愛子」にも久しく行っていない。 今日はやけに涼しくて熱いラーメンを食べても汗も出ない。 いつもは冬の小国に来てこの熱い「もやしラーメン」を汗をかきながら食べるのが好きだった。 あんかけ風で量も多いがなかなかうまい。 ちなみに値段は¥600。 何年か前、町の担当者から評判を聞いて食べてみたのがきっかけで、その後小国で昼食を食べるときはほとんどここに来て「もやしラーメン」を注文する。

〈久しぶりの小国町役場。前庭のブナも大きくなって鬱蒼としてきた。〉

〈久しぶりに食べる愛子の「もやしラーメン」〉

 

打ち合わせが終わって、当社の元社員で現在の総務企画課長の奥さんであるY美さんに久しぶりに会って行こうと思い、彼女の勤め先に電話しようとした。 すると課長が先に電話してくれて彼女が役場まで来てくれることになった。 久しぶりに会った彼女は、現在 中3と小5のお母さんである。 今日が終業式で通知表をもらってくるのだという。 彼女は小国町内にある飯豊山荘や梅花皮荘、川入荘などの宿泊施設やスキー場、キャンプ場などの経営を行っている「おぐに白い森(株)」 に勤めている。 飯豊山麓にある飯豊山荘や梅花皮荘、川入荘などは景観も温泉も良くお勧めの宿である。 彼女からお土産に、会社で販売している「栃の実そば」なるものを頂いたので少しはPRをしておこう。 今年から飯豊山荘には若い美人の「森林セラピーアテンダント」が常駐しているので、是非お出でくださいとのことであった。 予約はこのアドレスからどうぞ! http://www.siroimori.co.jp/index.html  

〈白い森の「栃の実そば」。 確か以前はブナ羊羹も販売していた。 〉

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あまりの暑さに地平線が燃えている!

2011-07-21 17:32:06 | Weblog

2011年7月19日(火)、帰宅しようとして会社の玄関を出ると、西の空が鮮やかな黄金色に染まっていた。 台風が接近しているせいなのか、夕日は沈んだ後なのに地平線が異状に明るく輝いている。 もう少し早く気付けば海岸まで行けたのに残念! きっと佐渡がマジカに見えたに違いない。 ほんの数分後にはもう空全体が闇に包まれてしまった。 

新潟市の今日の最高気温は37度を超えたらしい。 午前中は節電のためエアコンをがまんしていたが、午後からはたまらずエアコンのスイッチを入れた。 この夏の最高気温と思われる。 まだ7月の半ばを過ぎたばかり。 これから1ケ月以上もこの暑さが続くと思うとうんざりする。 

〈地平線が燃えているような日没後の夕焼け〉

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天神尾根から谷川岳トマノ耳1963.2mへ

2011-07-18 10:44:07 | Weblog

2011年7月17日(日)、一昨日まで、仕事で尾瀬燧ケ岳2,356mに登って帰ったばかりだが、今日は女房殿のガス抜きのため谷川岳の日帰り登山に行くことになった。 ちょうどJR東日本が、この連休までの10日間、新幹線を含む一日乗り放題10,000円フリーパスというお得なチケットを販売していた。 それをフルに利用して下山後に熊谷まで足を伸ばし、孫たちと一緒に夕食を食べて最終の新幹線で帰宅するという、かなりハードな計画である。

新潟発7時01分の新幹線はうまい具合に上毛高原駅に停車する。 上毛高原には7時56分に着き、8時ちょうどの谷川岳ロープウエイ駅行きのバスに乗れる。 8時40分頃にはロープウエイの山麓駅に着けるので、遅くとも9時半頃には天神平を出発し午後3時頃には下山できるという計画である。 上りのロープウエイは待ち時間がほとんどなくスムーズに乗れたため、山頂駅から更にリフトに乗って天神尾根の頂部まで登った。 ここからは一旦下りとなるが、ロープウエイの山頂駅から薄暗い林の中をトラバースするより、谷川連峰の素晴らしいパノラマが望める尾根ルートの方が気分が良い。 予定通り9時半に天神平の尾根を出発、歩き始めると間もなく登山道は時々渋滞するほど登山者の行列となる。 2年ぶりに来た天神尾根からの登りだが、記憶にあるより結構急登が続く。 年を取って体力が落ちた分、そう感じるのかも知れない。 暑かったが晴天に恵まれ、多少の渋滞もちょうど我々には適度な休憩となって順調に肩の小屋に到着した。 それでも2リットル担いでいった水を1.5リットルは飲んでしまった。 肩の小屋で500ccのペットボトルの水を1本400円で買い足した。 そこに荷物を置いて双耳峰(トマノ耳1963.2mとオキノ耳1977.0m)のうちの近い方のトマノ耳に登る。 予定より10分程度の遅れで12時10分ころ登頂。 肩の小屋の前で昼食を食べ午後1時ちょうどに下山を開始した。 さすがに下りは先日の燧ケ岳のきつい下りの疲労が残り膝と足首に力が入らない。 それでも予定通り3時前にはロープウエイの山頂駅に到着した。 ところがビックリ。 山頂駅には連休の観光客も多く、何と最後尾がどこなのかわからないほどの長い長い行列ができている。 多分今がピークだろうからアイスクリームでも食べて少し休んでから並ぶことにして、レストランに入る。 30分ほど休んでから外に出てまたまたビックリ。 行列は着いた時よりさらに長くなっているではないか! あきらめてはるか後方の最後尾に並ぶ。 結局1時間待ってやっとロープウエイに乗ることができた。 ところが、我々の乗った下りのロープウエイが途中で止まってしまい、しばらく高いところで宙吊り状態になってしまった。 「これでレスキュー隊にでも救助されれば今日のトップニュースに出るね」などという声が聞こえる。 しかし、間もなく動き出し何とか無事山麓駅に到着した。 結局山麓駅発最終17時発のバスで上毛高原駅に戻り、予定より遅くなったが熊谷に行き、 孫たちの大歓迎を受けて一緒に夕飯を食べる。 一休みして最終の上越新幹線で新潟に戻った。 12時少し前に帰宅、長い一日であった。

〈9時すぎ谷川岳ロープウエイで天神平に向かう。〉

〈天神尾根の頂部までリフトで登り、尾根を下りながら谷川岳を正面に見て出発!〉

〈山頂へ向かう登山者の列が延々とつながっている。〉

〈稜線の向こう側は雲が多い。この稜線がちょうど太平洋側と日本海側を分ける脊梁尾根である。〉

〈荷物を置いて肩の小屋からトマノ耳山頂に向かう。〉

〈肩の小屋の前で昼食をとったその足元に咲いていたハクサンフウロ。〉 

〈山頂方向から下りながら肩の小屋と登ってきた天神尾根方向を望む。〉

〈万太郎、仙ノ倉を経て平標山まで伸びる谷川連峰の稜線を見ながら下る。〉

〈ロープウエイの天神平駅は長蛇の列ができていた。〉

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朝4時に起きて大江湿原へ

2011-07-16 15:27:46 | Weblog

2011年7月15日(金)、今回の調査が、ちょうどニッコウキスゲの最盛期に当たったので今朝は4時に起きて写真を撮りに出かけた。 今回は水を含めて荷物が多いので一眼レフカメラをかついで登るのはやめようと思っていた。 しかし、せっかくのチャンスを逃すのはもったいないし、後で後悔するのも嫌だったので、結局重いのを我慢して持ってきた。 ただし、さすがに三脚までは体力的に自信がなかったので、今日の撮影はASA感度を上げて手持ち撮影を行った。 他の3人も同じ時間に起きて、昨日見落としたポイントがあるからと言って沼尻の方まで出かけて行った。 平日とは言えさすがに尾瀬である。 私が行った頃には既にカメラをかついだ人たちが何人か来ていた。 尾瀬はどこを撮っても絵になるので絵ハガキのような写真は撮れるのだが、それ以上の感動的な写真は難しい。 やはり、何日も泊り込んでチャンスを狙わなければ満足できる写真は撮れない。 私のように仕事のついでに撮っているようでは絵ハガキ以下の写真にしかならない。 

7時に他のメンバーも帰ってきたので朝食を食べに食堂に行く。 何と既に我々以外の宿泊客は全員朝食は終わり、食堂の後片付けも終わってテーブルの上に椅子が並べられている。 残っていたのは我々4人分の朝食テーブルだけであった。 今日の調査は小渕沢田代1か所だけなので、出発は8時過ぎに予定していた。 他の泊り客は早々に出発して行ったため、我々が出発する頃には誰もいなくなっていた。 

〈夜明け前の大江湿原〉

〈尾瀬沼を背景にしたニッコウキスゲの群落〉

〈6月のミズバショウに続いて今年は2度尾瀬の一番尾瀬らしい季節に訪れることができた。〉

〈尾瀬沼キャンプ場を通って小渕沢田代へ。 このキャンプ場は当社で設計したものである。〉

〈小渕沢田代の湿原の調査位置を確認するスタッフ。ここはニッコウキスゲが少ない。〉

〈ワタスゲも大群落を形成しているほどではないが比較的多い。〉

〈背丈の高い草に隠れているがトキソウが木道場谷多く見られる。〉

〈かわいいタテヤマリンドウの群生も多い。〉

〈小渕沢田代から大江湿原に下る林内の登山道脇にはゴゼンタチバナが多く咲いている。〉

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30数年ぶりの燧ケ岳(2,356m)

2011-07-16 08:35:14 | Weblog

2011年7月14日(木)、尾瀬の植生復元調査の下見のため、昨日環境省桧枝岐自然保護官事務所で打ち合わせをした後、燧ケ岳の北側ルートの登山口にある御池ロッジに向かった。 午後から夕立となり一時すごい土砂降りになったが、夕方は一旦雨はあがった。 燧ケ岳は2度目だが、もう30年以上前のことである。その時は尾瀬沼側から登ったことしか覚えていない。 山形県の別の現場に行っていたパーティ2人が夜9時前に宿に合流し、4名で早朝7次前に御池ロッジを出発し、最初の目的地である熊沢田代に向かった。 環境省の首席自然保護管であるN氏にはとてもついていけそうにないので、1時間ほど後から来てもらって現地で合流することにした。 それでもN氏には手前の広沢田代のあたりで追いつかれてしまった。 広沢田代の湿原はちょうどワタスゲが見ごろとなっていた。 先々週はモンゴルの草原でワタスゲの群落を見たが多分これと同種と思われる。 広沢田代からはS君とT君(高校時代山岳部だった)の2人にN氏と一緒に先に行ってもらい、私と女性スタッフのSさん(彼女も高校時代は山岳部だった)は少し遅れてついて行くことにした。 広沢田代からの急登を喘ぎながら登り、登山口から約2時間で熊沢田代ついた。 N氏は、一人の時は1時間を切るスピードでここまで来るそうだ。 日常の仕事が尾瀬国立公園の中を歩き回ることとはいえ、軽やかな足取りはさすがである。 熊沢田代の木道周辺で、植生復元のモニタリング調査ポイントなどを確認しながら一旦燧ケ岳の山頂に向かう。 

11時半ごろ、燧ケ岳 俎(まないたぐら)2,346mに到着、 本当の山頂は 俎より1m高い隣の 柴安(しばやすぐら)2,356mだが、一旦下ってまた登りなおさなければならない。 これからの急こう配の沼尻への下りを考えて我ら3人はパスした。 しかし、さすが元山岳部で一番若いT君、昼食後に「ちょっと行ってきます。」と言って隣の柴安 の山頂まで30分足らずで往復してきた。 

沼尻平へのナデッ窪道は急峻な上に大小の石礫が多く、足場が不安定なため足首や膝がガクガクして参った。 コースタイムは2時間弱の下りだが、結局我ら2名は2時間40分もかかってしまった。 標高差あと、100mほどのところまで下ってきたあたりで、あまり遅いので「今どの辺ですか?」と先行メンバーから無線が入った。 やっと沼尻平に着いたころには、既に現地踏査は終わっており、みんな木道に腰を下ろして我々の到着を待っていた。

〈御池の駐車場脇に建つ御池ロッジ。 まるでホテルのような立派なしせつである。御池には何度も来たが、ここに泊まるのははじめてである。〉

〈御池の登山口から燧ケ岳へ向かう。〉

〈1時間近く急坂を登りつめると広沢田代の湿原に着く。〉

〈広沢田代はワタスゲの群落がきれいだった。〉

〈熊沢田代。尾瀬ヶ原や尾瀬沼・大江湿原などと違って登山者はほとんどいない。〉

〈熊沢田代の上部はかなり傾斜のある湿原。ここでの調査ポイントを確認。〉

〈熊沢田代を出発すると再び急な登りとなる。山頂直下付近にはまだ雪渓が残っている。〉

〈燧ケ岳 俎2,346mから尾瀬沼を見下ろす。〉

〈所々に咲く白山シャクナゲを見ながら沼尻へと下る。〉

〈ようやく沼尻に到着。膝がガクガクして力が入らない。〉

〈沼山峠からの木道と合流。大江湿原のニッコウキスゲ群落の中を行く。〉

〈御池を出発して約9時間。今日のゴール尾瀬沼ヒュッテに到着。〉

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梅雨が明けても、乾燥地から過湿地への適応は辛い!

2011-07-10 16:47:18 | Weblog

2011年7月10日(日)、きのうどうやら梅雨明けしたらしい。 先週の週間天気予報では新潟県はもう1週間は天気が不安定という予報だった。 確かに昨日の朝の空気は、前日までとちがって夏のにおいがした。 モンゴルの東ゴビ砂漠から帰って5日が過ぎたが、日本のこの蒸し暑さには参ってしまう。 気温は東ゴビの方が高かったはずだが、湿度が20~30%と低いのでほとんど汗をかかない。 夜もエアコンなしで快適に眠ることができた。 ところが帰ってきたのが梅雨の真っただ中で、湿度は70~80%もある。 蒸し暑くて不快でよく眠れない。 なんだか疲れが却って増幅された感じがする。 

何もしないでゆっくりした日曜日は1ヶ月ぶりくらいだろうか? しかし、家でゴロゴロばかりしていると却って疲労感が抜けない。 午後から裏の海まで散歩に出かけた。 梅雨明け初の日曜日だが、まだ強烈な暑さではないせいか海水浴客はそれほど多くはない。 駐車場は満車だが路上駐車はほとんど見られない。 そういえばもうすぐ夏休みだ。今年も孫たちを海に連れてこなくてはならない。 今年も娘から「孫その1」の夏休みの課題研究を頼むと電話がきていたらしい。 自分の子供には「そんなの自分で考えてやれ!」と、多分言っていたのだろう。 手伝った記憶はほとんど無い。 しかし、孫の場合は対応が全く違うのが我ながらおかしい。

〈午後3時なのに気温は28度。予報は32度だったが・・・。〉

〈空は夏の空になった。 駐車場はほぼ満車となっている。〉

〈砂浜はまだ混雑するほどの状況にはなっていない。〉

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予定の行程を終えて無事帰国

2011-07-07 06:59:04 | Weblog

2011年7月4日(月)、ミアット航空OM0301便はウランバートルを定刻に出発した。 砂漠地帯の上空を通過する時には地上の景色も見ることができたが、中国上空は雲の中でほとんど視界がきかなかった。 約3時間のフライトでソウル インチョン国際空港に到着。 今年はソウルの市街地まで時間をつぶしに出かけるのをやめ、おとなしく空港内で乗り継ぎ手続きを済ませ、出発ロビーで休むことにした。 空港内はインターネットの無線ランが使えるので、メールの受信やブログの更新などをして過ごす。  夕方6:00発の大韓航空新潟行きも定刻に出発。 この便を含めて今回搭乗した便はすべてほぼ満席であった。 今のところ4人のメンバーの中で体調を崩した者はなく、午後8時前に無事新潟空港に戻ることができた。 ただし、私とKさんは帰国した後でひどい下痢に襲われたので、まだ安心はできない。

〈インチョン空港の中を、民族衣装を着た一団の行列がゆっくり歩いてきた。多分PRのパフォーマンスなのだろう。〉

〈能登半島を通過するころ、雲の中に夕日が沈んで行った。 しかし、アナウンスによると雲の下は雨のようだ。〉

 

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モンゴルの花咲く草原

2011-07-06 18:00:38 | Weblog

2011年73日(日)、昨夜9時にサインシャンドを夜行列車で出発し、今朝8時過ぎにウランバートルに到着した。 ウランバートルで明日の早朝まで時間があるため、ウランバートルから70㎞ほど西方にある花の咲いている草原に案内してもらうことにした。 ウランバートルも中心部から外れると未舗装で凸凹道が多く埃がすごい。前を走る車があると視界が遮られて何も見えなくなる。 それでもカラコルムへ向かう幹線道路は舗装がしてあった。

 この幹線道路から外れて草原の中を北へ向かってしばらく走ると、尾根筋や山腹に森が分布しているなだらかな草原に到着した。 途中低湿地らしい場所にはワタスゲが群生していた。 ここで旅行社が用意してくれた幕の内弁当(おかずはトンカツだった)を食べ、2時間ほどそれぞれ思い思いの場所に行って植物や昆虫を観察したり、写真を撮ったりして過ごした。

 この土地は個人所有で、かつてはエコツーリストのキャンプ地として使われていたゲルや小屋が残っていたが、今は使われていないということだった。

 やはり一面の緑は気分がいい。こんなところでのんびり暮らすのもいいかも…。と思わせるような景観が広がっていた。

〈午後9時サインシャンド発ウランバートル行きの夜行列車に乗り込む、この時間は夕日が沈んだばかりでまだ明るい。〉

 

〈ウランバートルから約70㎞ほど西北西に行ったところにある花の咲く草原〉

 

 〈モンゴルの草原でお昼の幕の内弁当を食べる。〉

 

 〈低地にはワタスゲの群落が見ごろとなっていた。〉

〈東ゴビ砂漠の荒漠とした風景と比べると、まるで別世界の風景である。〉

 

 

【モンゴル最後の晩餐は、中国風?しゃぶしゃぶ】

 

今日で今回のモンゴルは最後の日となった。 明日は午前4時半頃には空港に向けて出発しなければならない。 昨年は全員がひどい下痢に見舞われて参ったので、今回は飲み物や食べ物には注意していた。 ここまでは皆無事にきている。 仕事も無事終わったので、今日はもう大丈夫だろうと、皆少々気を許してかなりの勢いで食べている。〉

 

 

 

〈モンゴル最後の晩餐は国籍不明のしゃぶしゃぶだった。〉

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砂漠の中で遊牧民の馬術を競う大会

2011-07-06 11:59:51 | Weblog

2011年7月2日(土)、昨夜、ガンホヤック知事から誘われた遊牧民の馬術の大会を見学するため、サインシャンドの北西部の砂漠に向かう。 今日の大会はドルノゴビ県の代表を決める県大会で、14のソム(郡のような単位)から集まってきたチームが競い合って全国大会への出場権を争うというものである。 今年の全国大会はこのドルノゴビ県で開催されることになっている。

競技は、走ってくる馬の群れの中から、指定された色の馬1頭を棒の先に付けた紐で捕まえるものや、投げ縄、荒馬の乗りこなしの3種目である。 会場にはゲルが建ち多くの遊牧民が集まっていた。 しかし、ほとんどの参加者や見物人たちは、ジープや四駆の車で集まってきていた。 競技中にアナウンスで、我々が日本から見学に来ていると紹介されたことを通訳から聞かされた。  お昼は知事専用のゲルに招待され、モンゴルのギョウザスープとミルクティをご馳走になった。 今日の県知事は民族衣装にカウボーイハットをかぶり、選手に盛んに声援を送っていた。

〈民族衣装をつけた参加選手〉

〈投げ縄で走る馬を捕える競技で見事指定された馬を捕えた遊牧民の選手。成功率はかなり低いようだった。〉

〈荒馬の乗りこなし競技で落馬する選手〉

〈県知事のゲルに招待され、奥さんを紹介される。〉

〈今日は快晴で外の温度は50℃までの目盛を振り切ってしまった。〉

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ようやくこのプロジェクトの発案者でもあるガンホヤック知事に報告ができた。

2011-07-06 07:13:40 | Weblog

2011年7月1日(金)、昨年からすれ違いばかりで、なかなかお会いすることができなかったドルのゴビ県のガンホヤック知事に、ようやく今日の午前中に知事室に招かれ、状況報告をすることができた。 もともとこのプロジェクトのスタートは知事の発想から始まったものである。 彼は信州大学に留学し、日本のモンゴル大使館にも勤務していたことがあるため、会話は通訳抜きで日本語でできることがありがたい。 現状の進捗状況とこれからの取り組み方針について我々の考え方を話した。 知事も、「緑化は積極的に進めているものの、よそから持ってきた苗木がうまく育ってくれるかが心配だ」と語っていた。 我々は、「まず地元で育っている植物を地元で緑化用に生産できる体制をつくいうこと」を提案し、今年から試験的にそれを開始したところであった。 今日も地元TV局が取材に来ていたが、彼らは我々の会話の内容が全くわからず、会談が終わった後でインタビューを受けた時に、「知事はどんなことを言っていたのか?」と聞かれた。

夜は知事の招待で夕食をご馳走になった。 その時に、「明日は、遊牧民たちの馬の競技大会があるので見に来ないか?」と言われた。 我々にしてみれば、そんな大会を見る機会など二度とないだろうから、明日の予定を変更してでも「是非見学させてほしい。」とお願いした。

〈ガンホヤック知事に現在までの調査結果の概要と、これからの方針を説明する。〉

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砂漠に自生するポプラを確認するため往復360㎞砂漠を走破!

2011-07-05 13:30:04 | Weblog

 

630日(木)、サインシャンドから西方約180㎞の砂漠の中に自生するポプラの一種Poplus diversiforia(コトカケヤナギ)を確認するため、旧ソ連製の県のジープとガンバータラさんのワゴン車(三菱デリカの四輪駆動車)の2台でホテルを9時に出発した。 ウランバートルの旅行社から運転手付きで借りているマイクロバスでは無理だということで、県と、ガンバータラさんが四輪駆動車を出してくれたのだ。 途中45㎞先のジュンバイという村で、現場を知っている道案内人を乗せてさらに砂漠の中を走ること2時間あまり、午後3時近くにようやく窪地に群生するポプラの自生地に到着した。 一見ヤナギの葉のように見えたが近付いてみると一本の木にポプラの葉とヤナギの葉とその中間形の葉が付いているという不思議な木である。 案内してくれた人の話では13種類の葉をもつ木だと言うことであった。 やたらと多い大きなダニに悩まされながら、試験生産用の挿し穂を採取し、午後5時過ぎにサインシャンドに向けて出発した。 途中夕食の時間になったが、砂漠の中にはレストランもコンビニもない。 お昼の残りのパンを砂の上に車座になって皆で食べる。 この方が我々にとっては楽しいし、通り過ぎるだけでは良くわからない砂漠の植生や昆虫などを観察することができる。

 

 

 

〈砂漠の真ん中で昼食をとる。)
 
〈途中の村ジュンバイは旧ソ連軍の駐屯地があったが、今は廃墟となっている。)
 
 
〈目的地に近付くとニレの疎林が現れた。)
 
〈ポプラの一種コトカケヤナギの群落に到着)
 
〈13種類の葉の形を持つといわれる不思議なコトカケヤナギ。)
 
 

 

 〈夕食も砂漠の中で。〉

 

 

〈大地のエネルギーを取り込むガンバータラさん。〉

 

 

【砂漠が突然洪水になる!】

 

 

今は7月4日午後2時、ウランバートルからインチョン空港に到着し、新潟行に乗り継ぐために出発ロビーで待っている。その時間を利用してこのブログを書いているが、疲れたのであとは後日帰ってから更新することにする。

 

 

砂漠の中での夕食を終える頃から、サインシャンドの方向は暗雲が立ち込め、雷が鳴り始めた。 帰りは夜9時を過ぎる頃ようやく暗くなってきた。 サインシャンドに近づくにつれ道路がぬかるんでKきた。 町の灯が見え始める頃には、砂漠の中に濁流が流れている場所もあって朝出発した時とはまるで違う別世界である。 結局車が通れる場所を探しながらやっとホテルにたどり着いたのは夜11時近くになっていた。 雨男のパワーも、ここまでくるとヒンシュクモノとなる。 

 

〈サインシャンドの方向は雷がなっている。かなり雨が降っているようだ。〉

 

>

 

〈まるで地球と大気ががショートしているかのように地平線のあちこちが光っていた。>

 

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今日もまた東ゴビに雨が降る。

2011-07-03 00:00:17 | Weblog

2011年6月29日(水)、ガンバータラさんの圃場で今日は、ドルノゴビ県の環境・観光部のスタッフも参加して挿し木と播種の実地研修を行った。 今日も朝から小雨が降り続いていて涼しい。全く同じ時期にもかかわらず、昨年の暑さが嘘みたいである。 挿し木には願ってもない条件である。 午後からは、地元TV2局の取材が入り、事業の目的や今回の調査内容、これからの予定などについてインタビューされた。 夕食を終えてホテルの部屋に戻ると、今回の車や食事の手配をお願いしてある旅行社の女の子(我々は愛称フラワーさんと呼んでいる)が走ってきて、「今あなたがテレビ出ている!」と言って部屋のテレビのチャンネルを合わせてくれた。 全く編集していない上に、字幕ではなく私が話した後に通訳が入るため2倍の時間がかかる。 見たのは途中からだったが、おそらく5分以上放映されていたのではないかと思う。 通訳が話している間ポカンとして待っている間の抜けた顔が長々と写されているのは見ていて嫌なものだ。 

〈今日も朝から雨が降ってきた。日本の梅雨のような降り方である。日本から梅雨を運んできたようだ。〉

〈挿し木の実地研修を兼ねて、増殖の手法を検証する。〉

〈ほとんどノーカットで放映された地元TVのインタビュー。〉

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