太陽が沈み切って家に戻ったが、その間15分だった。
今日は今年で一番暑い日だったかもしれない。昼間は会社でエアコンなしで頑張ったが部屋の温度は31度。ただちょうど心地よい風があったので我慢できないほどではなかった。
あと1ヶ月以上この暑さが続くのかと思うとうんざりする。温暖化のスピードが早まればとても適応できそうにない。そうなれば私は北海道に移住する!
2008年7月20日(1)、後の日程が詰まってきてしまったので、この連休は仕事をすることにした。今日は長岡市(旧与板町)にある民有林の森林調査の補足調査と、地元の人たちへの聞き取り調査を行ってきた。この写真はスギ林が管理放棄されたために近隣にあった竹林のモウソウチクが侵入してきて、スギ林を食い尽くそうとしているところである。このまま放置すればスギは全滅して数年後には竹林に変わってしまう。この調査地のいたるところでモウソウチクがスギの縄張りを徐々に奪っていく状況が見られる。
仕事自体は山腹崩壊や荒廃渓流の防災対策と森林の機能保全のための整備手法を検討することである。モウソウチクと山地崩壊との関係はまだ明らかではないが、自宅裏山が竹林になっていて被害がなかった住民は竹林のおかげだと言い、逆に被害にあった住民は竹林のせいで崩れたと言っている。多分地形や土質、傾斜、地下水位などの影響の方が大きいのではないかと思われるが今後の分析が必要な問題である。
2008年7月16日、最上に14日から現地調査の仕事で来ているが、今日は私だけ別件の打合せのためJRで早めに帰ることになった。宿泊施設の最寄り駅が、JR陸羽東線の大堀駅である。無人駅だが、ログハウスの山小屋風の建物で、中も木製のテーブルとイスがある。早朝6時42分発の鳴子温泉発新庄行きだが、電車は9割以上が高校生である。普通ならこれからラッシュ時間帯だが、これに乗り遅れると1時間以上待たねばならない。
ところで昨年までは、最上町の教職員住宅を借りていたが、実際は長期滞在になることはほとんどないため、今年からは町で紹介してもらった公共の宿泊施設を利用することになった。その宿泊施設の名前は「おらだずの宿 りんどう」という。東北弁のわかる人なら意味はわかるが…、である。しかし、いい温泉付きで素泊まり2700円は安い!もっと早く教えてくれれば、24時間温泉に入れるこの宿の方が良かったのに…。
2008年7月13日、新潟祭りに使うお御輿が古町のアーケード内に置いてあった。祭りのカンパを募集するイベントの小道具として展示されていたものだ。最近はほとんど祭りを見にきたことがない、今まで夜の民謡流しは見に行ったことはあるが、新潟祭りのお御輿を間近で見るのは初めてだ。特に小さいものが展示されていたのか、思ったより小振りである。近くにさらに小さい子供御輿も置いてあった。募金活動にはハッピ姿の子供たちも借り出されて声をからしている。最近はどこの祭りも資金不足で大変のようである。特に新潟祭りは日程が8月下旬だったのが上旬に変更されてからは盛り上がりに欠けるようになった。今年はどうなのか?孫たちが来れば連れて見に行ってもいいが、残念ながら今年は祭りの頃には来られないらしい。
2008年7月12日、わが家にもバラが咲いている。この春休みに孫が遊びに来たときに、買って置いて行ったミニバラである。バァアバが「今度ゆうかたち来るときまで元気に育てておいてやらないと」、と大事に面倒をみている。部屋は孫の写真ばかり、娘から孫の服などをねだられると、文句をいいつついそいそと買いに出かける。同居でなくても孫中心の生活である。
2008年7月8日、現場の帰りに旧岩室村にある矢川放水路脇を通った。この放水路は水害から住宅や農地を守るために、弥彦山の下をぶち抜いて直接日本海に放流できるようにしたトンネル排水路である。その排水路脇に記念公園があって、まだたくさんのバラが咲き残っているバラ園が目にとまった。
その中でミツバチを1匹だけ見つけた。最盛期を過ぎていたので他には昆虫もあまり見掛けなかった。
この公園は以前わが社で設計したもので、竣工式に招かれて来た記憶はあるが、こんなに広いバラ園があったとは知らなかった。すべてに名前のラベルが付けられており、除草もちゃんと行われている。結構管理が大変だろうと思いながら色とりどりのバラを撮らせてもらった。
2008年7月6日(2)、その神社の境内に、竹箒を持ったユーモラスな子供の地蔵がある。ちょうど3歳の孫その2と同じくらいの背格好である。ここは結構有名な受験の神様だとは聞いていたが、掃除をする小僧とどういう関係があるのだろうか?それも普通の石仏ではなく、ブロンズ像のような感じだ。この神社の敷地は広く他にも色々な石仏や石像、記念碑などがある。いつかの機会によく見てみることにしよう。
今日は午後3時過ぎに熊谷を出て新潟に向かう。途中沼田を過ぎた頃からポツポツ降り始めた雨が、月夜野の手前頃から凄まじい豪雨となり、登りにさしかかった高速道路の路面は川のようになってほとんど前も見えない。止まりたかったが高速道路ではそれも怖い。2、30キロのノロノロ運転で次の本牧PAまで何とかたどり着こうと思ったが、その手前で雨は止んだ。まるで滝の中を通り過ぎたようなものだった。
2008年7月6日(1)、昨日ほどではないが、熊谷は今日も朝から暑い。孫たちにせがまれて外に散歩に出たものの、日陰でなくては熱中症になりそうだ。いつも行く近くの神社は大きい木があるはずなのでそこに行くことにした。孫その1は自転車で、その2は三輪車で神社に向かう。ちょうど参道と境内の濃い紫色のアジサイが満開だったので、アジサイをバックに1枚。それにしても、さすが熊谷の子、昨日から一言も「暑い!」と言わないで駆け回っている。確かにこの子たちは暑さには慣れている。地球温暖化が進んでも人間はしぶとくそれに慣れていくのかもしれない。
2008年7月5日、孫その2の幼稚園の七夕会にまたまた熊谷へ。さすがに日本一暑い熊谷だ、強烈に暑い。しかし今日の最高気温は岐阜県多治見市の36度、熊谷は34.2度でベスト5くらいだったらしい。孫その2は汗だくになりながらも、一生懸命踊っている。あまりの暑さに熱中症で具合が悪くなった子も何人かいたらしい。
この春3歳になったばかりで年少組に入った孫その2は、ついこの前やっとオムツが取れたばかりである。幼稚園へ行くようになって急に成長したようだ。きょうの出番も全てちゃんとこなしている。教える先生はさぞかし大変だったことだろう。
今日は父母会の役員の関係者ということで、広報係の腕章をつけて写真係をさせられた。役目柄、自分の孫ばかりを撮るわけには行かないが、それでも人を押しのけて前に出ても文句を言われない写真係の特権を利用して孫を中心に撮ったりもした。
2008年7月3日、日没が遅くなったため、最上からの帰りに景勝地の笹川流れでちょうど夕日が沈むのに遭遇できた。最上を出るときは結構いい雨降りだったが、新庄を過ぎる頃から曇りとなり、鶴岡を過ぎて海岸線を走るようになる頃には西に空が少し明るくなってきた。
笹川流れで車を止めて何枚かの写真を撮った。ちょうどカラスが一羽岩と同じシルエットとなっている。残念ながら一枚を撮ったところで飛び立ってしまった。来週からいよいよ現場が始まるのでこれから何回か通うことになる。しかしこちらはこれから本格的な梅雨になりそうなので運良く夕日が沈むのに出合える確率は低い。
きょうも村上を過ぎる頃からまた雨となり、新発田を通過する頃はどしゃ降りとなった。本当に絶妙なタイミングでの夕日であった。